翌日。
朝早く、朝食の後片付けをしていたいたるの元に電話がかかってきた。
「イクマさん? どうしたんですか?」
いたるの家に、両親は今日もいない。
仕事で忙しいいたるの両親は、滅多に家にいることがない。
代わりに飼い猫のショパンがいたるの足元で甘えている。
『最近、ナツはどうしている?』
「ナツくん? ……えっと、いつも通りですよ。昨日は風邪でピアノを休んでいましたけれど」
『フレイヤ・オンラインというゲーム内に、ナツのなりすましがいる。やけにナツに詳しいが、本人ではないだろう。
ちなみに、ナツはゲームはしていないな?』
「ゲームをしているって話は聞いたことがないですね」
『犯人は身近にいる。なにか気がつくことがあったらいつでも言ってくれ。……それと誘拐事件の話は知っているか?』
いたるはどきりとした。
見晴に内密に、と言われた話だ。
もしかして、世間に公表されたのだろうか。
一瞬迷ったが、相手は封太だ。
封太は引きこもりだが、妙に鋭いところがあることをいたるは知っていた。
彼のひらめきを邪魔しないためにも、自分は正直であるべきだ、といたるは思った。
「あ、えっと、はい。ぼくと同じピアノ教室に通っている香月朝陽さんという子が……」
『ああ、それでか。いたるにも関係があると一水さんに言われたんだ。そうか、香月か……、おおよその事情はわかった。誘拐事件のほうは気にしなくていい、ナツのなりすましの件だけよろしく頼む』
「わかりました」
通話を切って、ショパンをなでる。
そういえば、一水は昨日、「いつでも連絡してくれ」と言っていた。
一水はもしかして、誘拐事件を探っていて、見晴のピアノ教室にたどり着いたのだろうか。
いたるは自室に戻り、机のなかにしまってあった一水の名刺を取り出した。
昨日言われてから、なんとなく気になっていたのだ。
白く分厚い紙の表面に、「海嶽会 延寿一水」とだけ書いてある。
いたるも詳しくは知らないが、海嶽会はかなり大きな組織らしい。
いたるは名刺をめくった。
裏面には住所や電話番号が書いてあるだけだと思っていたが、実際に見てみると肩書きらしきものも書いてあった。
『海嶽会 香月一家 若頭補佐』
いたるは、「あっ」と声を出した。
香月とは、朝陽と同じ苗字だ。
一水が誘拐事件を追っているというのなら間違いない。
朝陽は反社会的組織に属する家の子どもなのだ。
それなら「家庭の事情で、あまり大ごとにはできない」というのにも納得がいく。
ただ、誘拐事件のほうは気にしなくていいと封太に言われた。
いたるは一水の名刺を机に戻しながら、封太の言葉を反芻(はんすう)する。
ナツのなりすまし。
──犯人は身近にいる。