香月朝陽が行方不明。
ピアノのレッスンを終えたいたるは、見晴の家から外に出たあと、しばらく空を見上げていた。
時間はすでに18時半を過ぎていたが、初夏だけあって日が長い。
遠くの空ではオレンジ色の太陽が、まもなく沈もうとしている。
ナツがレッスンを休んでいるということだけでも心細いのに、今度は同じ学年の朝陽が行方不明だなんて。
家庭の事情で、あまり大ごとにはできないらしいと、見晴は言った。
(行方不明って、もう十分大事件だと思うけれど……家庭の事情ってなんだろう?)
自分のつま先の少し先に視線を落としながら、いたるはぼうっと考えた。
そのとき、突然いたるの目の前に影が落ちた。
「いたるさん、お久しぶりです」
どきりとして顔を上げると、そこに立っていたのは白いスーツを羽織った男。
ホストのようないでたちだが、いたるは彼のことを知っている。
延寿一水(えんじゅ・いっすい)。
反社会的組織に所属している男だが、1年前の事件で知り合って以来、なにかといたるたちのことを気にかけてくれる大人のひとりだった。
一水は、いたるをまっすぐと見据えて、口元だけで笑った。
「奇遇ですね。どこまでですか?」
「えっと……バス停までです」
「なにかと物騒ですし、送りますよ」
一水がいたるの後ろに目配せをする気配があった。
いたるが視線を追って振り返ると、そこには丸いサングラスをかけた男が立っていて、いたると目が合うと片手をあげて微笑んだ。
「大丈夫、彼は俺の友だちです」
友だちということは、彼も一水の同業者なのだろうか。
同業者ということはつまり、反社会的な。
一水はそんな「友だち」を置いて、いたると歩き始めた。
いたるは横を歩く一水を見上げた。
「えっと……一水さんは、どうしてここに?」
「もうすぐイクマさんの返済日なんですよ」
一水が言った。
イクマさん……伊久間封太も、この一水と同じように、1年前の事件で知り合った人物だ。
彼らは債務者と債権者の関係にある。
つまり封太は彼に金を借りていて、定期的にそれを返済しなければいけないのだ。
言われてみれば、封太のマンションも同じバスの路線で行けるので、比較的ここから近い距離にある。
とはいえ、一水の移動手段は車だったはずだ。
こんな住宅街に一水がいるのは、明らかに変だ。
それともこの住宅街にも債務者がいるのだろうか。
ふと、一水はその猫のような目をいたるに向けた。
「いたるさん。俺の名刺、まだ持っていますよね」
「あ、1年前の……」
知り合ったときに、たしかに名刺をもらった。
裏面に書かれていた電話番号はすでにスマートフォンに登録してあるから、そのあとは机にしまったままだけれど。
「なにかあったら、いつでも連絡してくださいね」
一水はなぜか再び、そう念を押したのだった。