「いたるくんは、音楽科がある中学校を受験するんだよね」
学校の大きなくつ箱の前。
くつを履き替え、真夏はトントンとつま先を鳴らしながら言った。
「ナツくんも同じ学校を受験するんでしょ? ふたりともすごいね」
真夏は褒めたつもりだったが、いたるの表情はどこか晴れなかった。
「でも、なんか……」
いたるが言った。
「ぼくはナツくんみたいに、ピアノを弾くことがすごく楽しいってほどでもないし、ここで音楽科に進んだら一生ピアノを弾き続けなきゃいけなくなる気がして」
「ピアノ、好きじゃないの?」
「うーん。嫌いってわけでもないんだけれど……」
いたるは口ごもる。
ナツとの出会いは、ピアノ教室だった。
それからナツとはすぐに仲良くなって、そのナツがいつも楽しそうにピアノを弾くので、自分もなんとなくピアノもやめずに続けてきた。
ところが今年に入り、突然親から音楽科を受験をするようにと言い渡されて、いたるは驚いた。
自分では音楽の道に進んでいくなんて考えたこともなかったからだった。
ナツはいたるとは真逆で、自分から音楽科を受験したいと両親に告げたらしい。
いたるとナツが目指すことになった中学校がたまたま同じであることを知って、ナツは喜んでくれたが、いたるは一層不安になった。
ピアノが好きで音楽をもっと学びたいという気持ちのナツと、中途半端な気持ちのままの自分。
そんな自分が、ナツと同じ中学校を目指していいのだろうか?
「真夏くんは、将来はなにになりたいとか……、その、夢とかってある?」
いたるが真夏に尋ねると、真夏はうーんと上を見上げた。
「夢? あんまり考えたことないなぁ……、でもなんとなく、お父さんと同じ仕事をするような気持ちでいた」
「真夏くんのお父さんってどんな仕事をしているの?」
「時計屋さん。アナログ時計を売ったり、修理したりしているんだ。でも最近はデジタル化が進んでいて、僕が大人になる頃には仕事がなくなっちゃうかもなぁ」
真夏はそう言って肩をすくめた。
「未来のことは未来にならないと、わからないからね」
そんな話をしているうちに、早くも停留所に着いてしまった。
いたるはもう少し真夏と話をしたい気持ちだったが、
「それじゃ、ナツくんによろしくね!」
真夏に手を振られ、いたるも手を振り返さないわけにはいかないのだった。