「は……はは」
笑ったのは僕だ。
ほかのだれかが僕の立場でも、たぶん同じように笑っただろう。
頭が痛い。
すべてを放り出して、眠ってしまいたい。
冗談じゃない。
「……冗談じゃない」
僕は言った。
「冗談じゃないよ」
緋色が言った。
彼女の顔はやつれていた。
いつも結わいている髪はそのままだったけれど、少し乱れている。
「……その包丁でなにをする気だ?」
「あおちゃんを刺す」
緋色が即答する。
息を飲み込んで、質問を続けた。
「三日……世界を三日まえにもどしたのは、緋色だったのか?」
「そうみたい。お祈りしたら、叶っちゃった」
緋色は笑った。
いつもの元気は、かけらもなかった。
「どうして……」
「もどりたかったの、あおちゃんのいる世界に。やり直したかったの」
緋色が顔をゆがめた。
ぼろり、と大つぶの涙がこぼれ落ちる。
「……緋色のほうが僕よりも先に、この世界に来ていたのか?」
「ちがうよ。私にとっては、『向こうの世界』とこの世界は、よく似ていたけれど」
緋色はふう、と息を吐いて天井を見た。
たぶん、涙を止める努力をしているのだろう。
緋色が僕から目をそらした隙に、僕はなにか自分の身を守れるものはないかと、事務所内にすばやく視線をめぐらせた。
しかしなにか見つけるよりはやく、緋色はまたこちらに顔を向け、笑った。
「あおちゃんがいない世界なんて、だれもいないのとおんなじだよ」
なにを言っているのだろう。
だれもいない世界と同じ──
「……僕のいない世界、だって?」
「そう。あおちゃんはほんとうは、」
緋色がなにかを言いかけたそのとき。
聞こえてきたのは、ばたばた、と階段を駆けのぼる足音。
そして事務所に飛びこんできたのは、ゴルフクラブを握った村崎みずきだった。