米坂邸(j)


米坂さんが白河くんのお母さん……、白河薫帆(かほ)さんの肖像画を盗み出した理由は、 なんと薫帆さんは、米坂さんにとっての初恋の相手だったかららしい。

「薫帆さん本人を手に入れることはできないから、せめて絵だけでもと思ったんだよー」

うわーんと泣く米坂さん。
まあ、そのきもちもわからなくはないけれど、同情する余地はない。

一連の事実について何度も口止めされた時計屋さんは、 「とんだことに巻き込まれた」とぐったりしながらも、時計だけはきちんと修理して帰っていった。

使用人のヨハンさんは、この騒動のあとにぼくたちのぶんまでお茶をいれてくれた。
そのためぼくたちは、絵画をとりもどしたあとも、しばらく米坂さんの家に留まることとなった。

白河くんがさし出されたクッキーを頬ばりながら、米坂さんにたずねた。

「パスワードを『BACH』にしたのは?」
「薫帆さんが、あの曲のことを好きだって言っていたから……」

ぐすん、と鼻をすすりながら、米坂さんは言った。

「まさか白河家の坊ちゃんが直接乗りこんでくるとは、ゆめにも思わなかったし……」
「……このふたりがお宝を見つけたところを、こっそり横取りしようと思っていたのに」

くるみさんが、やたら物騒(ぶっそう)なことを言った。

「実際、途中までは私の期待どおりに事が運んでいたのだけれどね。 そんなすぐに足のつく絵は、こっちから願い下げ。 ……『賭(か)け』には勝ったけれど、勝負には負けた気分だわ 」

ちなみに『米坂』は偽名だけれど、『くるみ』は本名らしい。
……彼女が言うことは、どこまでほんとうかはわからないけれど。

「くるみさん、……自称怪盗が、こんなにのんびりとしていていいの?」
「さっきも言ったでしょう? 私、今回はまだ、なにも盗んでいないもの」

ぼくの問いかけに、すまし顔のくるみさん。
それからくるみさんは横目でぼくの顔をちらりと見て、たずねた。

「ねえ、いつから私が『怪盗』だって気づいていたの?」

ぼくはくるみさんに言った。

「くるみさんに呼ばれたあの部屋は、きれいに掃除はされていたけれど、すこしほこりっぽかった。 あれは長いあいだ、人が生活していない部屋のにおいだよ。それに、部屋の入り口にこれが落ちてた」

ぼくはポケットから小さな歯車を取り出した。
白河くんが横からそれをつまみ上げると、手のひらで転がした。

「これ、いったいなんの部品だ?」
「拾ったときはなんだかわからなかったけれど、あの柱時計を見て確信した。 『あの柱時計は意図的に止められたんだ』、って。……これは、あの時計から抜かれた歯車だったんだ」
「ふうん。……私も、らしくないミスをしたものだわ」

くるみさんは、なぜかくやしがっている。

……米坂さんもくるみさんも、だいぶ怪盗のイメージ像とはちがうけれど、 ちがいの大きさでいえば、あのぼくの部屋のおとなりさんの探偵と、似たようなものだ。

……そうだ、あの人とも、一度話さなければいけなくなってしまったな。

くるみさんは小首をかしげると、ぼくのひざのうえに手を置いた。

「でも、たまにはいいものね、みんなでこっそり忍びこむのも。ねえ牧志、今後は私と手を組まない?」
「ダメだ、女の子がそんな危険なこと! 泥棒は犯罪だぞ!」

なぜかそう怒ったのは米坂さんで、『あなたにだけは言われたくない』、と、 くるみさんににらまれた米坂さんは、ふたたびしゅん、とうなだれてしまった。

「……しかし、どうしてサバトの絵画がわが家にあるとわかったんだ?」

米坂さんがふしぎそうにくるみさんに問いかけ、くるみさんはというとぼくを見て言った。

「牧志が受け取った予告状に、そう書いてあったから」
「……ん? あれ、くるみが送ったんじゃないのかよ? だって今回の怪盗は、くるみだったんだろ?」

白河くんがおどろいてそう言った。

「じゃあ、あの予告状はいったいだれから……」
「この筆跡を見て、おもしろそうだったから話に乗ったの」

くるみさんはそう言って、あの絵葉書を机のうえに置いた。
……あれ、それはぼくが持っていたはずなのに、いつの間に。

「牧志。この予告状の送りぬしのこと、……いまならあなたにも、こころ当たりがあるでしょう?」

ぼくは、くるみさんの言葉にうなずいた。