米坂邸(g)


「……パスワードを入力すると開くタイプのとびらだね」

ぼくは言った。

「ディスプレイのマス目の数から考えると、アルファベット四文字」
「くるみ、こころ当たりはないのかよ!?」

白河くんがくるみさんにつめ寄ったけれど、くるみさんは首を横にふった。

「完全にお手上げね」
「クソッ、せっかく見つけたのに!」

ぼくはアルファベットのキーをながめた。
四文字……ということは単語だろうか。

よっつのアルファベット。
よっつの……

……そういえば、『あれ』も四文字だ。
そのことに気がついたとたん、あのドアベルの違和感がよみがえってきた。

これって、もしかして。

「……くるみさん。米坂さんって、クラシックは好き?」
「……え?」

とつぜんのぼくの質問に、くるみさんはあきらかに動揺した。
……そっか。くるみさんはそのことを、『知らない』んだった。

ぼくは、今度は白河くんに話しかけた。

「白河くん、あの画廊と本邸をつなぐとびらについていた、ドアベルの音を覚えてる?」
「はあ? そんなの、覚えているわけ……」

白河くんはそう言って、しかし考えこんだ。

「……いや、あのとき、すこしふしぎに思ったんだよな。 ドアベルにしてはやけに音域がせますぎる、って。あの音は……CからAの半音階……? いや、まさか」

音名には、ぼくたちが知っているドレミのほかに、ドイツ音名というものがある。
ドはC(ツェー)、レはD(デー)……といったような具合に、だ。

そう、素人のぼくが気がついて、白河くんが気づかないはずがない。
だって白河くんがいなければ、そもそもぼくは気にも留めなかったのだから。

「ぼくは覚えているよ。前に白河くんが弾いてくれた曲、フランツ・リストの曲と同じ音だった。
あの曲のタイトルにもなっているよっつの音の読み……並び替えると、 "BACH(バッハ)" 」

ぼくは言いながら、パスワードを入力した。
すると、ピ、と短い電子音が聞こえて、とびらの鍵が開く音がした。

……『バッハ』の主題による幻想曲とフーガ。
『B-A-C-H』の音をモチーフにして作られたという、あの曲の意味は白河くんに教えてもらったのだ。

「……鍵は開いたみたいだけれど。このあと、どうするの?」

ぼくがそう言ってとびらの取っ手に手をかけたとき、チャイムの音が鳴った。
十七時に聞いたものと同じ音に、くるみさんがはっと顔をあげる。

「……はやく隠れないと……、そこのあなたも!」
「な、なんで俺まで?」

それまでおとなしかった時計屋さんが、とつぜん声をかけられてうろたえた。

「いいから、はやく!」

そう言うと、くるみさんはとびらを大きく開き、ぼくのことをとびらの向こう側へと押しやった。
とびらの向こうは暗くてよく見えなかったけれど、足を踏み出した瞬間、床がなくなった。

「うわっ……!?」

一瞬の浮遊感のあと、ぼくはそのまましたへと落ちていったのだった。