気がかりな放課後(c)


かばんを落としたまま教室のとびらの前で固まっていたのは、ひとりの女子生徒だった。
名札に引かれたラインの色からして、飛鳥と同じ学年だ。

「……ま、まさか見えているのか!? この私のことが!」

飛鳥が近づこうとすると、女子生徒は「ひゃっ」、と短くさけんで、尻もちをついた。

「ああっ、すまない! おどろかせるつもりは……」
「だ、だいじょうぶ? なにかあったの? 西森さん……」

そこにやってきたのは、先ほど教室から出て行ったばかりの佑虎だった。
どうやら女子生徒の悲鳴を聞いて、もどってきたらしい。

西森と呼ばれた女子生徒は前髪が長く、その目元を覆い隠している。
佑虎以上に、内気な印象の少女だった。

「だ、だいじょうぶ……」

女子生徒はそう言って立ち上がると、ちらりと飛鳥のほうを見た。
それからおろおろしている佑虎に向かって言った。

「ごめんね、ちょっと転んじゃっただけなの。ほんとうに、なんともないから……」
「そ、そう? ……それならいいんだけれど……、えっと、気をつけて帰ってね」

女子生徒はもう一度、飛鳥のことを見た。
その顔は、なにか言いたげだ。すかさず、飛鳥がさけんだ。

「となりのA組の教室へ! 私も行く!」

飛鳥の言葉に、女子生徒が小さくうなずいた。



A組の教室にも、人はだれも残ってはいなかった。
ひとまずだれに見られても怪しまれないように、女子生徒を彼女自身の席に座らせて、飛鳥はその机のまえに浮かんだ。

「私は越智飛鳥。B組の元生徒だ」
「私はA組の西森青空です。越智さんのことは……知ってるよ」

青空は顔にかかる髪を片耳にかけながら、かなしそうな表情で言った。

「二日まえに……亡くなったんだよね」
「そうだ。二日まえに死んだはずが、成仏しきれずに幽霊になってしまったんだ。 しかし私はわるい幽霊ではない。けっして西森さんに危害などは加えない! わかってくれるか?」
「……うん。……越智さん、ぜんぜんこわくないもの」

青空はそう言ってほほえんだが、またすぐに沈んだ顔にもどった。

「越智さんが生きているうちに、こうしてお話ができればよかったのに……」
「死ななければ、言葉を交わす機会がなかったかもしれない。私はいま、こうして西森さんと話ができることがうれしいんだ」

飛鳥はそう言って笑った。

「むしろ、死んでからのほうが人とよく話すようになった気がする。 ……そうだ、西森さんのクラスの赤月君とも、さっき話をしていたんだ」

それを聞いた青空は、あまりおどろかなかったようだった。

「五限目に……、一度私のクラスに来てたよね、越智さん」

そう言われて、飛鳥はかっと顔を赤らめた。

「き、気づいていたのか? それは、はずかしいところを見られたな……」
「ふり返ったときにちらりと見ただけだったから、あのときはあまりよくわからなかったの。 でも、授業が終わったあとにも、だれもそのことについて触れないから、ちょっとおかしいなとは思っていたんだけれど……」

青空の言葉に、飛鳥はうなずいた。

「思った以上に、幽霊を見ることができる人間は少ないみたいなんだ。私が知るところでは、まだ赤月君と西森さんのふたりだけだ」
「越智さんのほかに幽霊さんは、いないの?」
「いまのところは、先輩幽霊がひとりだけ。ほんとうなら、死んだあとはみんなすぐに成仏してしまうらしいんだ。 しかし私の場合は、『未練』が成仏のさまたげになっているらしい。ただ、その肝心の未練にこころ当たりがなくてな……」
「わ、私、その未練を探すお手伝い、する……!」

いきなり大きな声でそう言われたので、飛鳥はおどろいて青空を見た。
青空も自分の声にびっくりしたようで、あわてて手をふった。

「め、迷惑じゃなければだけれど……!  でっ、でも、私にもなにかできることが……あればいいな……って……」

青空の声はそう言っているあいだにもだんだんと小さくなり、最後にはなみだ声になっていった。
しかし青空がその言葉をすべて言い終えるまえに、飛鳥が青空の手をぎゅっとにぎった。

……といっても、実際はすり抜けてしまうので手を添えるだけだったが、それでも飛鳥はうれしそうに、顔を輝かせた。

「ありがとう、西森さん! 実は、赤月君も同じことを言ってくれたんだ。 私はいい同級生に恵まれていたんだな。こんなにうれしいのは、生まれてはじめてだ」
「そ、そんな、大げさだよ……」

そのとき、教室のまえをとおりかかった数学教師の狐塚が声をかけてきた。

「……西森、そんなところでひとりでなにをしているんだ? あんまりおそくまで残ってるんじゃねえぞ」
「はっ、はいっ!?」

青空は椅子から転げ落ちそうになりながら、立ち上がって返事をしたのだった。