発足 -- 01


ご注意:この小説は『海はその謎解を望むのか?』および『月見坂学園憑き幽霊の省察』のネタバレ要素を多く含みます。
該当する小説を未読のかたには不親切な描写が多々ありますので、ご注意ください。


季節は初夏。

さすがにせみの鳴き声はまだ聞こえないものの、外に出て少しでも体を動かせば、すぐに汗ばむような生暖かい気候だった。

しかし、六路木ろくろぎ玲花れいかのいる雑誌出版社のオフィス内は冷えきっていた。
それは決して比喩ではなく、エアコンの設定温度が異常に低いからだった。

冷房の風はちょうど編集長の机の前……つまり玲花がいま立っているこの場所に、じかに当たる。
玲花はその不快な冷気に顔をしかめながら、編集長の朝本に食い下がっていた。

「なぜ、これ以上取材を続けてはいけないんですか?
まだ事件が起きてまもないし、事件現場が豪華客船ともなれば、読者だって食いつくはずです。
それなのに、どのマスメディアもここまで静かなんて、あきらかにおかしいです……!」

言いながら、玲花は胸の前で書類の束をぐっと握りしめた。
この束は朝本にろくに目も通されず、机の上へ放り投げられた玲花の原稿案だった。

「あのな、六路木君」

朝本はため息をつきながら、机の上に両肘をついた。

朝本は癖の強い髪を後ろに流して、顎にひげを生やした男だ。
それは別におしゃれでそうしているわけではなく、忙しさで手入れが行き届いていないだけだった。

「……きみの書いた前回の記事が大ゴケしたのは覚えているだろう?
殺人事件ならともかく、きみが取り扱ったのは、ごくありふれた、ただの傷害事件だった」
「いいえ、あれは過失傷害事件です」
「とにかく」

朝本は咳払いをした。

「これはビジネスなんだ。正義感だけでは金にはならん。
私の方針に従えないのなら自分で会社を立ち上げて、そこでやれ」

たしかに朝本の言うことは正しい。
しかし、玲花にはどうしても納得がいかなかった。

「編集長まで……どうしてあの豪華客船の事件を避けるんですか?」

朝本はその質問に顔を上げることもなく、 ほかの記者が書いた別の原稿に視線を落としながら言った。

「今日は家に帰れ。考えが変わらないようなら、明日からもずっと家にいていい」

それはつまり、クビだということだ。
それ以上なにも言うことができない玲花は、黙って唇を噛んだ。