ものごころがついて間もないころから、私はどうも、居心地のわるさを感じていた。
この世のなかの、なんと手応えのないことか。
ほんのすこし、記憶したことを披露するだけで、おとなたちは狂ったように賞賛する。
そうして飽きもせず、私の頭上で同じような会話を繰り返す。
もてはやされて、機嫌をうかがわれる。
しかし、そのどれもがうわべだけで、能力と若さへの妬みから、敬遠され、皮肉を言われ、ときにはいやがらせもされた。
私と同じように、天才だ、神童だと祭り上げられた子どもたちも、何人か見てきた。
そう言った子どもたちは、うまくおとなたちのまえで『天才』を演じつつ、
こころのなかでは周囲の人間のことをどこまでも小ばかにし、軽べつしているということが、手に取るようにわかった。
おとなも子どもも、だまし合って生きている。
つまらない。
こんなうわべだけの言葉の往来に、なんの意味がある?
私は、おとなと子どものどちらにも、属することができなかった。
いや、属しかたがわからなかったのだった。
そんなある日、私が七歳のころ。
私は出会ってしまった。
たまたま泊まったホテルの一階のロビーで、ピアノを弾く、同じくらいの年齢の子ども。
はじめにおどろいたのは、彼がかなでる、その音色だった。
……なんてきれいな音色なんだろう。
私はそれまで、音楽のたぐいはてんでダメだった。
よし悪(あ)しもわからないし、自分で楽器を演奏するなんて、もってのほかだった。
しかし、そのいやみのないすっきりとした音色は、私のこころを奪うにはじゅうぶんだった。
私は彼が一曲弾き終わると、すぐさま話しかけた。
「おまえ、ピアノがうまいな」
声をかけてから、私はわずかに後悔した。
きっと、彼はほめられ慣れているだろう。
だからそんなありきたりな言葉を言ったとしても、愛想笑いを返されるだけで終わるのではないか、と思ったからだ。
しかし、彼はおどろいた顔をすると、素直に笑った。
「ほんとう? うれしいな。ぼく、おんなじ年くらいの子にそんなこと言われたことなかったから」
そして、彼は右手を差し出した。
「ねえ、友だちになろうよ。僕は山吹彩人。としは、七歳」
私はその手を反射的ににぎろうとして、ためらった。
いままで、世のなかに対して斜にかまえていた自分の小ささに、とたん恥ずかしくなったのだった。
私は彼……彩人のように、だれかのこころをつかむようなスキルはない。
それどころか、この感動を彼に伝えるすべすら、持っていない。
……『天才』など、片腹がいたい。
私には、できないことばかりではないか。
私は彩人の手をつかむことなく、自分の右手を下ろした。
「……いまは、まだダメだ」
「え?」
「私はおまえと友だちにはなれない。私はまだ、おまえにふさわしくない」
いまの私では、あの透きとおった音色を、にごしかねない。
私は彩人の音色にこころをつかまれた。
だから私も、彩人のこころをつかまえられるようになりたい。
そして、彼にすこしでも見合うような自分になったころには。
きっと運命がまた、私たちを引き合わせてくれるだろう、と私は確信していた。
私は彩人に背を向けて、言った。
「私の名前はミカミ。私たちがもう一度会うことがあるならば、……それは運命だろう」
だから、そのときに。
もう一度出会ったときに、そのときこそ。
運命のように、
……私たちは、友だちになろう。
おわり
2016/05/31 擱筆
2016/07/16 連載終了
2018/11/06 加筆修正、レイアウト変更