プロローグ


「うー、寒い寒い……」

夜中0時。
伊久間封太(いくま・ふうた)は身震いをしながら、薄い毛布をたぐり寄せた。

季節は初夏、数日に一度は雨が降り、まもなく梅雨入りするかもしれないという。
外の気温は風が吹くと少し肌寒いときもあるが、基本はじめじめと蒸し暑い。

そんな季節なのに封太が寒がっているのは、極度の寒がりだから……ではなく、部屋の冷房をガンガンに効かせているからだ。

夏の室温は24度、湿度は40パーセント以下。これが封太の譲れない信条だった。
……まあ、第一にエアコンのリモコンをいちいち微調整するのが面倒というのもあるんだけれど。

封太は20歳、自称フリーター、ほぼニートの男だ。
しかも悲しいことにヤミ金に借金がある。

「今月の支払いももうすぐなんだよな……」

毛布を羽織ってはいるが、封太はベッドではなく、パソコンに向かっていた。
机の上に並べたデュアルモニターの片方には動画サイトが映し出されていて、動画配信者が生配信を行なっている。

『次のウルリカニュースは、小学生誘拐事件! この事件はまだ公になっていないんだけれど、証拠が揃い次第、追加で情報を出していく予定でーす!……』

喋っているのは、獣耳を生やした少女の見た目をしたアバターの、「ウルリカ」と名乗る配信者だ。
最近では声も変えられるから、実際のところ彼、ないし彼女の本当の性別はわからない。

封太はウルリカの配信の音声だけを聞き流しつつ、もう片方の画面でオンラインゲームをしていた。
封太がマウスを動かすと、自分のキャラクターも同じように動く。

ゲームのタイトルは「フレイヤ・オンライン」。
いたって普通の、ダンジョンでモンスターを倒してレベルを上げていくMMORPGだ。

MMORPGとは、「大規模多人数同時参加型オンラインRPG」を意味する。
つまり、ほかのプレイヤーとコミュニケーションをとりながらプレイできるところがこのゲームの醍醐味ともいえる。

封太はこの手のゲームが得意というわけではない。
なにせ他人とコミュニケーションをとることが苦手なのだ。

「うーん、依頼じゃなかったら絶対に手を出さないタイプのゲームだな……、おっと、レアドロップ」

封太のキャラクターがアイテムを拾った。

キャラクターの格好は、男の剣士だ。
名前は「フータ」となっているが、これは封太が作ったキャラクターではなく、封太の依頼主が依頼用に作った仮のキャラクターだ。 つまり、封太は「仕事」でこのゲームをプレイしているのだった。

依頼内容は、「2週間、より多くのモンスターを倒し、ゲーム内の所持金を増やすこと」。

ゲームの得手不得手(えてふえて)はさておき、この依頼は外には出ずに仕事ができる。
封太にとっては魅力的な条件だったので、深く考えずに引き受けていまに至るというわけだ。

『フータさん、レアドロップおめでとです〜』

ゲーム内の女僧侶の格好をしたキャラクターの頭の上にふきだしが出た。
いままでいっしょにゲームをプレイしていた、フータのギルドのマスターだった。

「ありがとう、めいぷるさん」
『キリもいいですし、一回集会所に戻りましょう』

めいぷるはそう言うと、呪文を唱えた。ダンジョンから帰還する呪文だ。

直後、フータとめいぷるの足元が発光し、画面がフェードアウトする。
次に画面に映し出されたのは街なかの裏路地。ここはギルドメンバーがいつも集まる場所、「集会所」だった。

ほかのオンラインメンバーは、別の場所へ狩りに出向いているようだ。
見知ったギルドメンバーの姿はなかったが、代わりに魔法使いの格好をした知らない男のキャラクターが腰を下ろしていた。

『あ、ちょうどいいところに。フータさん、新入りさんを紹介します』

めいぷるはそう言うと、笑顔の絵文字のふきだしを表示させた。
それから魔法使いのとなりに腰を下ろして、言った。


『ギルドの新メンバー、ナツくんです〜』


めいぷるの頭上にクラッカーのふきだしが現れるのと、封太の心臓がひっくり返るのは、ほとんど同時だった。