目が覚めると、そこはベッドの上だった。しかし、僕の部屋ではない。
いつもの布団よりごわごわしていて、布地がすこし固かった。
周りを確認しようと頭を動かすと、
「いつ……っ」
後頭部がずきずきと痛んだ。
右手でその部分にそうっと触れてみると、いつもと違う感触がそこにあった。
どうやら包帯を巻かれているらしい。
「おかえり、西森少年」
声のするほうに目を向けると、ベッドの脇に置かれたパイプ椅子に深神さんが座っていた。
深神さんは、本を片手に持っている。いままでそれを読んでいたのだろう。
「ここは病院だ。気分はどうだ」
「気分……」
どうだろう。
ぼんやりとした夢を見続けて……、ようやく目が覚めた、そんな気分だ。
「今日は……七月六日ですか?」
「ああ、そうだ。七月六日」
そして深神さんは開いていた本を閉じ、自身の腕時計を確認する。
「十三時二十五分。看護師を呼ぶか?」
「いえ、そのまえに……、深神さんが知っていることを、すべて教えてください」
どんなことが起こって、いまどうなっているのか。
深神さんはベッドに備えつけられているミニテーブルの上に置いてあったボトルの水を、
同じように置いてあった紙コップに注いだ。
「とりあえず、飲みたまえ」
深神さんに支えられて上半身を起こし、水を飲んだ。
長時間常温に置かれていたらしい水は、生ぬるかった。
「君は、どこまで覚えている?」
「ええと……」
深神さんにたずねられて、自分の記憶をさかのぼる。
……こちらの世界の僕の記憶。七月五日の、僕の記憶。
「……僕は自分のマンションの部屋にもどりました。そうしたらそこには、深神さんがいた」
そして人の部屋で勝手にコーヒーを飲んでいたわけだが、そこは省略するとして。
「会話の途中で、深神さんが僕に銃を向けて……、そのあとからは、なにも覚えていません」
「あのとき、私が銃を向けたのは、君ではない」
意外なことに、深神さんはそう僕に告げた。
「私が銃を向けた相手は、君のうしろに立っていた、『村崎みずき』だ」
息をのむ。
あのとき、僕の背後にみずきがいたというのか。
「しかし、私がなにかするよりもはやく、彼女はゴルフクラブを君にふり下ろしてしまった」
「ゴルフクラブ……」
「君が倒れたそのあとは、私が彼女を取りおさえて、そのまま警察に引き渡した。
彼女はすこし精神を患っているようだったから、犯罪としては処理されないかもしれないが」
そして深神さんは、僕に深く頭を下げた。
「すまなかった。今回のことは、私の説明不足だった」
「いえ。……深神さんの忠告を聞かなかった僕がわるいんです。……緋色は?」
深神さんが首を横にふった。
「まだ見つかっていない。……いまとなっては言いわけのようになってしまうが、
『村崎みずき』の存在を私が西森少年に隠したのは、緋色に頼まれたからだったのだ。
なぜそのようなことをするのか理由は教えてくれなかったが、
思いつめた表情をする彼女の頼みを、私は聞かないわけにはいかなかった」
「そうだったんですか……」
三日まえに世界を巻きもどした彼女は、僕を救うためにひとりで戦っていたのだ。
「僕とみずきを会わせたくなかったのは、緋色だったんですね」
みずきと出会えば、僕はまた、みずきに殺されてしまうから。
緋色は僕を守ろうと先手を打っておいてくれたのに、……僕が余計なことをしてしまった。
「緋色は失踪するまえに、すこしすることがあると言っていた。
そのときに、たとえ短い時間でも、西森少年がひとりになることをさけてほしい、と頼まれたのだ」
しかしそれきり、緋色は帰ってこなかった。
だから深神さんは『村崎みずき』があやしいとにらみ、そのあとを追ったのだ。
頭のなかに散らばった情報を整頓する。
そもそもの事の始まりは、僕が一度、村崎みずきに殺されたということだ。
死んだ僕は、あの延々と続く『だれもいない七月七日の世界』へ閉じこめられた。
そして緋色が、僕が死ぬまえの『三日まえに巻きもどした世界』を新たに生み出した。
この、みずきの『七月七日の世界』と、緋色の『三日まえに巻きもどした世界』が同じ効力を持って存在することによって、
『死んでしまった僕』と『生きていた僕』が同時に存在し、結果あのような事態になってしまったのだと思う。
みずきは、緋色が世界を巻きもどしたことを知っていた。
『この女、世界を巻きもどしてまで、私のじゃまをする』、とも言っていた。
おそらく、三日まえに巻きもどった世界……、いま、僕や深神さんがいる世界で、彼女たちはすでに、出会っていたのだろう。
その上で、みずきが僕をふたたび殺すため、僕のマンションまでやってこれたのは、……『じゃま者』がいなくなったからか。
「……僕はばかだ」
僕は頭を抱えた。
「緋色に……僕のために戦ってくれていた緋色に、僕は最後まで、なにもしてやれなかった」
僕は何度も選択をまちがえた。
……そもそも僕が、おとなしく死んだままでいれば、こんなことにはならなかった。
しかしそんな僕に、深神さんは言った。
「私もすべての事情を知っているわけではないが……、西森少年はわるくない。不運が重なったのだ」
深神さんはやさしかった。
僕はうなだれながらも、深神さんにたずねた。
「緋色は……、村崎みずきに殺されたのでしょうか」
「わからない。村崎みずきはもう、まともに会話ができる状態ではなかった。
ただ、殺されたというのなら、死体が必ず見つかるはずだ。それが現時点では見つかっていないわけだから、望みはまだある」
深神さんは目を細めた。
それはいままでに僕が見たことのない、暗い瞳だった。