劇場を出ると、すでに空は真っ暗だった。
しかし、昼間にはないネオンの明かりのおかげで、夜の池袋の街はより一層、さわがしく感じられた。
夜とはいえ、七月ともなると蒸し暑い。
居酒屋やカラオケの勧誘をよけながら、僕とハルカは駅のほうへと歩いていった。
「……で、蒼太。正直に言ってみろ。……今日の演奏会はどうだったよ? さっき教授に言ったのは、本心じゃないだろ」
ハルカの問いに、僕は苦笑して答えた。
「少なくとも教授の演奏は、ひどかったね。音ばかりが強くて、するどさもなかったし」
「だよな! オレ、あの人の演奏はきらいだ」
ハルカが頬をふくらませた。
「あと、教授の新曲? ラメントバスに頼りすぎ、不自然なピカルディ終止も笑えた」
「手厳しいな、……ハルカ」
僕は思わず笑ってしまった。
僕は、チェロを専攻しているといっても、学生のなかでは残念ながら、人並みの実力だ。
しかし、僕のとなりを歩くこの白河ハルカは、そうではなかった。
彼はいまでこそピアノを弾くことをやめているが、
幼いころ、……まだ彼に右うでがあったころは、『天才少年』と言われるほど、音楽業界では有名なピアニストだったのだ。
僕も当時、彼のことはメディアを通して知っていた。
音楽を志す者ならだれしもが、この若き天才音楽家の出現を、なんとも複雑な思いで見ていたことだろう。
あのころといまとでは、ハルカは服装も雰囲気も、だいぶ変わっていた。
昔の彼を知る者がいまの彼を見ても、同一人物とは思わないだろう。
現に、彼のことを知っているはずの丹波教授だって、まったく気づきはしなかったのだから。
ハルカは、ふわ、とあくびをして言った。
「まあでも、今日はいい刺激にはなったよ。最近は曲を作るために、部屋に引きこもってばかりだったからさ……」
「そんな時間があるってことは、まだ閑古鳥なの? 探偵業のほうは」
ハルカは大学生の僕と同じ年にして、探偵の助手だ。
しかしその仕事内容は、買い物をしたり、食事の支度をしたり……と、助手というよりも主夫の役割に近いのだった。
ハルカが深いため息をついた。
「だって、当の探偵があんな調子なんだぜ? もしオレが路頭に迷ったら蒼太、おまえがオレを拾ってくれよ」
「骨くらいなら拾ってあげてもいいよ。……まあ、深神さんは……あれでいろいろ、考えがあるんだとは思うけれど」
深神さんというのがハルカの上司であり、深神探偵事務所の所長だった。
ハルカが言うには、いつも日中、ふらふらとどこかに出かけては、甘いものを買って帰るだけのような毎日で、
積極的に仕事を探している様子は見受けられない、とのことだった。
僕から見ても、少し……いや、だいぶ個性の強い性格の人だけれど、根は良い人なんだと思う。……たぶん。
「ほんとうにそう思っているのか?」
ハルカの問いかけが、まるで僕の心を読んだかのようだったので、僕は笑いながらも視線を泳がせた。
「ぼ、僕は答えかねるよ。……なんかほら、
深神さんってなんでもお見通し……っていうか地獄耳なところがある……しぃっ!?」
僕はそこで、心臓が止まりそうになるくらいにおどろいた。
「探偵なのだから当たりまえではないか」
ハルカの後ろからひょいっと現れたのは、まさかの深神さん本人だったからだ。