——世論とはわからないものだ。
さとちゃんは芸能界から追放されることを覚悟で、記者会見を開いたらしい。
ところが、いままで男でいながら女性アイドルとして活躍してきたその演技力が、逆に高く評価された。
ふしぎなことに、ほんとうの性別を明かしたあとも、ファンはほとんど減らないばかりか、いまだに増え続けているらしい。
結局さとちゃんは、周囲の強い希望を受け、俳優として芸能界に残ることとなった。
あれからふた月ほど経ったある日。
私とさとちゃんは、「喫茶エトラ」でゆっくりとお茶を楽しんでいた。
マスターの計らいで二時間だけ、ふたりのためにお店を貸し切りにしてくれたのだった。
静かな音楽が流れる店内で、さとちゃんがコーヒーカップを片手に笑った。
「引退するつもりだったから、ちょっとおどろいているよ。
仕事をやめたら、たまとももうすこし、いっしょにいられると思ったんだけどな」
そう言うさとちゃんの髪は、あの記者会見の日からはすこし伸びていた。
それでも、そのしぐさは男の子そのもので、私はなんだがどきどきした。
「……でも私、俳優さんのお仕事をしているさとちゃん、かっこよくて好きだよ」
「ありがとう」
さとちゃんはにっこりと笑ってみせた。
私もつられて笑いながら、ことり、とカップを置いた。
……あんなことがあったのに、私は相変わらずココアを飲んでいる。
好きなものって、そう簡単には変わらないんだな、と思う。
「でも、あの記者会見にはさすがにびっくりしちゃった。
……ほんとうのことを告白するって、こわいもん。それも、あんな大勢のまえで……」
「だって、性別を偽っていたら、たまに言えないことがあったから」
「……え」
私が顔を上げると、真剣な表情をしたさとちゃんと視線がぶつかった。
ふたりのあいだに、しばらくの沈黙が流れる。
マスターはいつの間にか、すがたを消していた。ふたりだけの店内で、聞こえてくるのは音楽だけだ。
さとちゃんの手が、私の手にふれた。
「たま。……ずっと好きだった。もしよければ、僕と付き合ってください」
そのとき、私がどんな顔をしていたのかはわからないけれど……、
……その日から、喫茶エトラのマスターは、ときどき私とさとちゃんのために、たびたび店内を貸し切りにしてくれるようになったのだった。
おわり
2017/01/14 擱筆、公開
2018/11/06 加筆修正、レイアウト変更