カッターナイフ(a)


俺の名前はリイチ。年齢は21歳、みずがめ座のO型だ。

……いや、そんなことはどうでもいい。
問題なのは、俺がひどく臆病な性格だということ。

人が苦手で、目なんてぜったいに合わせられない。
そんなわけで友だちゼロ、おまけに家族もいないし、孤独が人間のすがたをしているなら、たぶんそれは俺だ。

人から話しかけられないように、いっそチャラチャラした格好をして、ピアスでもしようかと考えたこともある。
ただ、自分のからだに穴を開けるだなんてすえおそろしく、結局、ピアスの穴ひとつですら開けられなかった。

……しかし、いまの俺はふるえながらも、夕暮れどきの空のしたで、勇気をふりしぼって立っていた。

目のまえ……といっても電柱越しだが、すぐそこの家のとびらから、美しい女性が出てくる。
そして道を反対側に歩いていくところを、俺はうわずった声で引き留めた。

「ま、マツリさん! ……き、今日こそ……っ、俺の恋人にならなければ、殺してやるっ……!」


顔には引きつっているだろう笑みを浮かべて、手にはカッターナイフを握りしめて。


いつものことながら、マツリさんの逃げ足は早かった。
俺がそのつぎの言葉を紡ぐ間もなく、すっ、とその先の角を曲がってしまう。

俺は深く息をはいて、とぼとぼと歩き出した。

「マツリさん、たぶんしばらくは家には帰ってこないだろうな……、俺とまた会ったらこわいもんな……」

マツリさんは、俺が片思いをしている相手だ。
ゆるやかなウェーブのかかった長い髪に、広いつばの白い帽子をよくかぶっている。

美しく、やさしいマツリさんの恋人として、俺が不釣り合いなのは俺がいちばんよく知っている。

ただ……、俺はマツリさんのそばにいなければならない理由がある。
それは、最近このあたりで頻発している、通り魔殺人事件だ。

被害者はゆうに10人を超えた。老若男女問わず、被害者たちにこれといった関連性もない。
犯人は明らかに、無差別に人を殺して歩いている。

俺はマツリさんを守りたい。
影からいつも見守ってはいるが、それでも限界がある。

せめて恋人のふりでもして、マツリさんがひとりにならないようにすれば、マツリさんが犯人に狙われる確率は下がるはずだ、と考えたのだった。

「……でも、おどして恋人になってもらおうなんて無理な話だよな。とはいえ、くわしく説明しようとしても俺、緊張してうまく話せないし。そもそもマツリさんは俺のすがたを見たら、すぐ逃げちゃうし……」

そのとき、道をはさんだその向こうの商店街に、マツリさんのすがたを見つけた。
……あの人混みのなかだったら、ひとまずはだいじょうぶか。

俺がほっと胸をなでおろしたとき。

「……きみ、あの人のストーカーをしてるの?」

耳もとで声が聞こえたので、おどろいた。
とっさに動こうとして、首もとに包丁の刃先が触れたので、さらにおどろいた。

「あ、どーも。なんかさっき、『殺してやる』って聞こえたから、なにかなーと思ってうしろをつけてきちゃった」

俺の首に包丁を押し当てているのは、すこし長めでくせのある髪の、さわやかな印象の青年だった。

「とりあえず、人気(ひとけ)のないところに行こっか」

にこにこと言われて、俺はもう抵抗することもできなかった。