縁切り鋏(ばさみ)(a)


古い民家と畑の風景が広がるのどかな田舎町、「ハグルマ町」。
このハグルマ町の片すみにある刃物屋で僕は、研ぎ師兼、店番として働いていた。

遠い昔から代々受け継がれてきたこの店は、古い建物特有のにおいがして、壁の色もだいぶ色あせている。
おまけに来客もほとんどないような店だけれど、僕はこの店で過ごす時間が好きだった。

ある夏の日の夕暮れどき。
僕がひとりで店番をしていると、店の扉がうすく開いた。

「ご、ごめんください……」

なにかにおびえるようにして扉の隙間から顔をのぞかせたのは、ひとりの少女だった。
中学校の夏服の制服に、長い黒髪を一本の三つ編みにして、片がわに垂らしている。

しかしそんなことよりも目を引いたのは、少女のからだのあちらこちらにある傷あとだった。手首や足には、痛々しい包帯が巻かれている。

「……いらっしゃいませ。あの、どうされたんですか? そのケガ……」

そこまで言って、僕ははっとした。
少女の左手の人差し指の先がないことに気がついたからだ。

「もしかして、あなたは……グミねえさん、ですか? ツグトくんのお姉さんの……!」
「す、すみません! そうです! 私、ツグミって言います……!」

ツグミさんはけつまずくように店のなかに入ってくると、ぺこぺこと頭を下げた。

「その節は、弟がたいへんお世話になりまして……!」

僕はわけがわからず、とりあえずツグミさんを、椅子に座るようにうながした。

ツグミさんの指の先がないのは、以前、包丁でその部分を切り落としてしまったからだ。
誤解が産んだ悲劇、あるいは事故としか言いようがないできことだったけれど、責任の一端は僕にもあり、僕はそのことがずっと気がかりだった。

「あのときは僕が余計なことをしてしまったばかりに、ツグミさんにたいへんなケガを負わせてしまって……、ほんとうにすみませんでした。僕もあのあとツグミさんのところへ向かったんですが、すでに病院に行かれていたので、いままで会えずじまいでしたね」
「なっ、なかなかごあいさつにもうかがえず、申しわけありませんでした……!」

ツグミさんはあわてたようすで、鞄から財布を取り出した。

「あのとき包丁を研いでいただいたのに、お代金、受け取ってくださらなかったと弟から聞いて、ずっと気になっていて……!」
「なにを言っているんですか。僕が包丁を研いだせいで、その、ツグミさんの指が……」

しかし、ツグミさんは首を横にふった。

「指は、いまのところ、とくに不便を感じていませんし、そもそも刃物屋さんのせいではありませんので、お気になさらないでください。それに、私の弟は……、いい意味でもわるい意味でも、すこし危ういところがあるので、いつかこういうことをやらかすのではないかとは、うすうす感じていました。あのことが多少なりとも弟の薬になったのなら、かえってこのくらいですんでよかったのかも」

このくらい、とツグミさんは言うけれど、僕にとっては……、いや、大半の人にとっては大ごとだ。
しかし、本人がそれで納得しているのなら、これ以上はなにも言えない。

僕はツグミさんに、もうひとつ気になっていたことをたずねた。

「では、……ツグミさん、そのケガ……指以外のケガはどうされたんですか?」
「えっ? あ、その、……階段から、落ちて……」
「階段から落ちてつくような傷じゃあ、ないですよね?」

僕はツグミさんの右手をとった。
ツグミさんの身体中についた細かい傷は、古いものから新しいものまであるし、なかには刃物で切りつけたような痕もあった。

「だれがこんな、ひどいことを……」

すると、ツグミさんがうつむいた。

「……学校に、私のことを嫌っている同級生がいるんです。その子が、ことあるごとに暴力をふるってきて……」
「学校に味方は、いませんか?」
「……みんな、その子のことがこわいんです。乱暴だから……」

そのとき、ツグミさんの目から、ぼたぼたと大つぶのなみだがあふれてきた。

「ありがとうございます。こんな私を心配してくださって……」
「……ツグミさん。一度、学校を休んで、これからのことをゆっくり考えてみては? そのケガは、かなりひどいです。ツグミさんは、とっくに限界を超えていますよ」
「きちんと中学を卒業して、高校へ行きたいんです。もうすこし耐えれば……」
「卒業したあと、高校はその子とはちがう学校になるんですか?」

僕のその言葉に、ツグミさんが絶句した。
高校に入学したあとのことは考えていなかったらしい。

「……ここで待っていてください」

僕はそう言うと、店の奥からちいさな箱を持ってきた。

「刃物屋さん、これは……?」

僕は箱のふたを開けた。
箱のなかには、赤色の鋏が入っていた。

「糸切り鋏(ばさみ)です。……ただ、この鋏(はさみ)はいわくつきで、別の呼び名があります。

それは……『縁切り鋏(ばさみ)』」