ユーマくんは午前中にはナイフを引き取りに来るはずだ。僕はあわてて身支度をすませる。
襖を開けて店内に入ると、いつもは椅子に座っているクゼさんが、めずらしくその場に立っていた。
「あれ、クゼさん、どうしたんです……」
そう言いかけて、僕は店の中に、もうひとりだれかがいることに気がついた。
赤い髪を高い位置でふたつに結んだ、幼い少女。
エプロンドレスのような洋服に、肘の上まで覆う白い手袋をしている。
少女は僕のほうには目もくれず、鋭い目つきでクゼさんのことを睨みつけていた。
クゼさんが、大げさに肩を落としてみせる。
「どうしたとは、私が聞きたいばかりですよ。とつぜん、この娘が現れたかと思ったら、この調子なんですから」
「ムスメなどと呼ぶな。私の名前はモリナだ!」
少女……モリナさんがそう叫んだ。
「刃物屋、私をここまで直してくれたおまえには感謝しよう。だが、この男のことは、決して許せない!」
そうしてモリナさんは、片手を振るった。
同時に、クゼさんの後ろの棚のガラスが、ばりんと割れた。
ぱらぱらとガラスの破片が床に散らばる中、僕は呆然として、つぶやいた。
「感謝って……まさか」
僕のつぶやきに、クゼさんが答えた。
「そのとおり。……この娘の正体は、あのペティナイフです」
僕は昨日、ペティナイフを置いた作業台に目をやった。
そこには変わらず、あのナイフが置いてある。
クゼさんがそうであるように、モリナさんもまた、本体を自分自身の手で自由に動かすことはできないのだろう。
僕はモリナさんに語りかけた。
「モリナさん、一度落ち着いてください。どうしてクゼさんを許せないんですか?」
クゼさんとモリナさんは1週間前が初対面のはずだ。
それにこの1週間、クゼさんがモリナさんに、そこまでおおきな無礼を働いたようにも見えなかった。
モリナさんは一瞬だけ僕を見ると、ふたたび視線をクゼさんにもどした。
「においでわかるぞ。この牛刀は、かつて人を殺した。……その場所はまさしく、あのゼンマイ銀行だろう!」
……かつて、ゼンマイ銀行に強盗が押し入り、従業員2名を刺し殺した。
そのときの犯行に使われたのは、灰青色の牛刀。……つまりクゼさんだ。
「……モリナさん、あの銀行強盗の事件を知っているんですか?」
「当然だ! なぜなら、あのとき殺された従業員のひとりと……私の所有者は結婚の約束をしていたからだ。
そしてこの牛刀からは、あの婚約者の血のにおいがする!」
モリナさんは、苦々しい表情で言った。
「……婚約者を亡くした主は、ひどく落ち込んだ。そしてあろうことか、私を使って自殺未遂を図った!
主の家族は、私が主のそばにいると二度目が起きかねないと考えて、私を森に捨てたんだ!……」
モリナさんは両手で顔を覆った。
「……すべてはおまえのせいだ、牛刀! 主は婚約者の仇を討ちたかったに違いない。
だから私はおまえを壊して、主の悲願を果たす!」
そしてモリナさんはもう一度、片手を振るおうとした。
そのとき、だれかが叫んだ。
「……危ない!」
思わず目をつむった僕だったけれど、次に目を開けたとき、クゼさんの前で膝をついていたのはユーマくんだった。
「ユーマッ?」
モリナさんが悲鳴のような声をあげて、ユーマくんに駆け寄った。
「大丈夫か! ユーマ、ケガはしなかったか?」
「うん。……きみが寸前で、止めてくれたから」
ユーマくんはそう言ってから、かなしげに瞳を伏せた。
「話は全部、聞いたよ。……ごめん。僕のわがままで、きみにかなしい出来事を思い出させてしまった」
「違う! 私は、ユーマをかなしませるつもりは……」
うろたえるモリナさんに、僕はゆっくりと近づいて言った。
「あなたたちは、扱う人間によって、いいものにも、悪いものにもなってしまう。
あなたのご主人のことも、ご主人の婚約者さんのことも。同じ人間として、謝ります」
僕はそう言って、頭を下げた。
「でも、いまのモリナさんは特別です。人の姿を手に入れたあなたは、自分の意思によって、あなた自身をいいものにも、悪いものにもできる存在になりました」
そう、それはまるで人間そのものだ。
クゼさんが軽口を叩いたり、僕のことを心配してくれたりするように。
僕は、ユーマくんの肩に手を置いた。
「このユーマくんは、あなたをいいものにすることができる人間だと、僕は思います。
……ですからモリナさんも、どうかユーマくんにとって、いい存在になってはくれませんか?」
モリナさんはおそるおそる、ユーマくんの顔色をうかがった。
「で、でも、私は、主の血を吸った、忌むべき刃物だ。ユーマは、私がこわくないか……?」
「ぜんぜんこわくないよ。……だってこんなに、かわいい声をしているじゃない」
ユーマくんがそう言ってほほ笑むと、モリナさんがユーマくんに抱きついた。
「ユーマ! 私はうれしい! うれしいぞ!」
「……やれやれ」
一部始終を見守っていたクゼさんが言った。
「店内をこんなに散らかして、だれが片づけると思っているんですか?」
「それは間違いなく、僕ですよね……」
僕は肩をすくめた。
でも、ユーマくんとモリナさんが、その程度の後始末と引き換えにしあわせになれるのなら、 まったくもって、悪い気はしないのだった。
おわり
2015/07/17 擱筆
2015/09/12 公開
2017/04/10 表記ゆれの修正
2018/11/06 加筆修正、レイアウト変更
2026/06/04 推敲、一部表現修正
2015/07/17 擱筆
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