ペティナイフ -- 03


明くる日。僕はこの1週間の疲れもあってか、すっかり寝坊をしてしまった。
ユーマくんは午前中にはナイフを引き取りに来るはずだ。僕はあわてて身支度をすませる。

襖を開けて店内に入ると、いつもは椅子に座っているクゼさんが、めずらしくその場に立っていた。

「あれ、クゼさん、どうしたんです……」

そう言いかけて、僕は店の中に、もうひとりだれかがいることに気がついた。

赤い髪を高い位置でふたつに結んだ、幼い少女。
エプロンドレスのような洋服に、肘の上まで覆う白い手袋をしている。

少女は僕のほうには目もくれず、鋭い目つきでクゼさんのことを睨みつけていた。
クゼさんが、大げさに肩を落としてみせる。

「どうしたとは、私が聞きたいばかりですよ。とつぜん、この娘が現れたかと思ったら、この調子なんですから」
「ムスメなどと呼ぶな。私の名前はモリナだ!」

少女……モリナさんがそう叫んだ。

「刃物屋、私をここまで直してくれたおまえには感謝しよう。だが、この男のことは、決して許せない!」

そうしてモリナさんは、片手を振るった。
同時に、クゼさんの後ろの棚のガラスが、ばりんと割れた。

ぱらぱらとガラスの破片が床に散らばる中、僕は呆然ぼうぜんとして、つぶやいた。

「感謝って……まさか」

僕のつぶやきに、クゼさんが答えた。

「そのとおり。……この娘の正体は、あのペティナイフです」

僕は昨日、ペティナイフを置いた作業台に目をやった。

そこには変わらず、あのナイフが置いてある。
クゼさんがそうであるように、モリナさんもまた、本体を自分自身の手で自由に動かすことはできないのだろう。

僕はモリナさんに語りかけた。

「モリナさん、一度落ち着いてください。どうしてクゼさんを許せないんですか?」

クゼさんとモリナさんは1週間前が初対面のはずだ。
それにこの1週間、クゼさんがモリナさんに、そこまでおおきな無礼ぶれいを働いたようにも見えなかった。

モリナさんは一瞬だけ僕を見ると、ふたたび視線をクゼさんにもどした。

「においでわかるぞ。この牛刀は、かつて人を殺した。……その場所はまさしく、あのゼンマイ銀行だろう!」

……かつて、ゼンマイ銀行に強盗が押し入り、従業員2名を刺し殺した。
そのときの犯行に使われたのは、灰青色の牛刀。……つまりクゼさんだ。

「……モリナさん、あの銀行強盗の事件を知っているんですか?」
「当然だ! なぜなら、あのとき殺された従業員のひとりと……私の所有者は結婚の約束をしていたからだ。
そしてこの牛刀からは、あの婚約者の血のにおいがする!」

モリナさんは、苦々にがにがしい表情で言った。

「……婚約者を亡くしたあるじは、ひどく落ち込んだ。そしてあろうことか、私を使って自殺未遂を図った!
主の家族は、私が主のそばにいると二度目が起きかねないと考えて、私を森に捨てたんだ!……」

モリナさんは両手で顔を覆った。

「……すべてはおまえのせいだ、牛刀! 主は婚約者の仇を討ちたかったに違いない。
だから私はおまえを壊して、主の悲願を果たす!」

そしてモリナさんはもう一度、片手を振るおうとした。
そのとき、だれかが叫んだ。

「……危ない!」

思わず目をつむった僕だったけれど、次に目を開けたとき、クゼさんの前で膝をついていたのはユーマくんだった。

「ユーマッ?」

モリナさんが悲鳴のような声をあげて、ユーマくんに駆け寄った。

「大丈夫か! ユーマ、ケガはしなかったか?」
「うん。……きみが寸前すんぜんで、止めてくれたから」

ユーマくんはそう言ってから、かなしげに瞳を伏せた。

「話は全部、聞いたよ。……ごめん。僕のわがままで、きみにかなしい出来事を思い出させてしまった」
「違う! 私は、ユーマをかなしませるつもりは……」

うろたえるモリナさんに、僕はゆっくりと近づいて言った。

「あなたたちは、扱う人間によって、いいものにも、悪いものにもなってしまう。
あなたのご主人のことも、ご主人の婚約者さんのことも。同じ人間として、謝ります」

僕はそう言って、頭を下げた。

「でも、いまのモリナさんは特別です。人の姿を手に入れたあなたは、自分の意思によって、あなた自身をいいものにも、悪いものにもできる存在になりました」

そう、それはまるで人間そのものだ。
クゼさんが軽口を叩いたり、僕のことを心配してくれたりするように。

僕は、ユーマくんの肩に手を置いた。

「このユーマくんは、あなたをいいものにすることができる人間だと、僕は思います。
……ですからモリナさんも、どうかユーマくんにとって、いい存在になってはくれませんか?」

モリナさんはおそるおそる、ユーマくんの顔色をうかがった。

「で、でも、私は、主の血を吸った、むべき刃物だ。ユーマは、私がこわくないか……?」
「ぜんぜんこわくないよ。……だってこんなに、かわいい声をしているじゃない」

ユーマくんがそう言ってほほ笑むと、モリナさんがユーマくんに抱きついた。

「ユーマ! 私はうれしい! うれしいぞ!」
「……やれやれ」

一部始終を見守っていたクゼさんが言った。

「店内をこんなに散らかして、だれが片づけると思っているんですか?」
「それは間違いなく、僕ですよね……」

僕は肩をすくめた。

でも、ユーマくんとモリナさんが、その程度の後始末と引き換えにしあわせになれるのなら、 まったくもって、悪い気はしないのだった。


おわり
2015/07/17 擱筆
2015/09/12 公開
2017/04/10 表記ゆれの修正
2018/11/06 加筆修正、レイアウト変更
2026/06/04 推敲、一部表現修正