首なし幽霊(a)


尾ノ首司(おのくび・つかさ)は、顔立ちの整った伊達男だった。

いつだって服装に気を配り、おろし立てのスーツを好んで身につけている。
よく言えば世渡り上手、わるく言えば軽薄な男で、そのうえ嫌味なことにピアノの腕がたった。

「今度、ご婦人を相手にサロンで演奏するんですよ」

にやにやしながら、尾ノ首は言った。

「そこでパトロンでも見つけさえすれば、もっと贅沢に暮らせるようになる。こんな古いピアノともおさらばしてね」
「古くても、いいピアノですよ」
「いいピアノでも、古臭いのはいやなんですよ。ぴかぴかの、作りたての新しいやつじゃなきゃ」

尾ノ首はそう言って、ピアノの足を蹴った。

「はァ……、親父も遺すなら、こんなガラクタより、もっとたくさんのお金を遺してくれればよかったのになあ」
「……そんなことを言っていると」

尾ノ首の話を聞いていた相手が、……まるで氷のように冷たい声で、しずかに言った。

「そんなことを言っていると尾ノ首さん、……そのうちピアノに殺されますよ?」


マツリカ国が隆盛した時代も、とうの昔に終わりを迎えていた。
蒸気機関技術といえば、いまや惰性のように引き継がれただけの過去の文明であり、マツリカ国の空は、常に排煙に覆われていた。

そんなマツリカ国の北東に位置するツキモリ地区は、積木のように建設された複数の階層からなる、特殊な構造をした区画だ。 それぞれの階層を行き来するには通行証が必要なため、それぞれの住人たちは、うえ、あるいはしたの階層にどんな人間たちが住んでいるのか、知らないまま一生を終えることも珍しくはなかった。

ツキモリ地区の上層階……、唯一灰色の空と接している階層の街の片すみに、その小さな研究所はあった。ひっそりとした細い路地裏に隠れるようにして構えるその研究所の名前は、『三嶽(三嶽)怪異研究所』。

研究所とはいっても、まるで民家か、小さな工房だ。
ふつうに暮らしていれば、まず人の目には止まらないであろう三嶽怪異研究所に、今日はめずらしく相談者が来ていた。

「首のない幽霊……、ですか」

怪異研究所の所長、三嶽壱(三嶽・いち)が、眠たげな目でぼそりとつぶやいた。
もっとも、彼が眠たげなのはいまに始まったことではない。もともとの顔つきがそうなのだ。

三嶽は背が高く、年齢は不詳だが、おおよそ二十代後半といったところ。ポーラー・タイに灰色のベストを身につけており、一見紳士風だが、髪がぼさぼさだ。
革張りの椅子に腰をかけた三嶽の足もとには、赤色の前掛けをした、白い狐がおとなしく伏せている。

「はい。……夜中に目を覚ましたときに、たしかにこの目で見たんです」

机を挟み、三嶽の正面に座っている伏見(ふしみ)チカコが、両ひじを抱えて震えた。
チカコは髪を高い位置でシニヨンにした、姿勢のいい、気品のある三十代の夫人だった。彼女は、留守がちの夫とともに暮らしている、と三嶽に言った。

「夫が数日まえから家に置いている、『あの』ピアノになにかあると思うんです。夫は、ただのピアノを譲り受けたと私には言っていましたけれど、もともと夫はオカルトの類が好きで……、素人の私から見ても、あのピアノはどこかおかしいと感じられて……」
「……と、言いますと?」
「……具体的に、ここがちがう、と、はっきりとは申し上げられないんですが……、私も、幼いころにピアノを触ったことはあります。そのときのピアノと……なにかがちがうんです」
「……わかりました」

三嶽はうなずいた。

「ひとまずは、そのピアノを実際にこの目で見てみましょう。……『藤丸(ふじまる)』」
「はい、三嶽さま」

『藤丸』と呼ばれた白い狐が、そう返事をしてすく、と立ち上がったので、チカコは目を丸くした。

「えっ……」
「? 伏見夫人、どうかなさいましたか」

三嶽がふしぎそうな顔でチカコにたずねるので、チカコは一瞬、自分の常識のほうを疑ってしまった。

「……その狐さん、いましゃべりましたよね?」
「……ああ、そうですね」

三嶽はようやく思い当たったように藤丸と目を合わせると、薄く笑った。

「……狐だって、しゃべりますよ。ここは、『怪異研究所』ですからね」