乗客たち(c)


それは、流れるような音色だった。

まるで月夜、おだやかな波の上に浮かぶ小舟のようだ。
かと思えば、次の瞬間には情熱的に燃え上がる、ほのおのようなはげしさが現れたりした。

ハルカの演奏が終わってから、しばらくのあいだは辺りがしんと静まり返っていた。
しかしすぐに、あちらこちらから大きな拍手と歓声がわき起こった。

ふう、と額の汗をぬぐうハルカに、鈴音が興奮した様子で飛んできた。

「すごいわ! いまの、スクリャービンの『左手のためのノクターン』よね? 片手のハンデなんて、ぜんぜん感じなかったわ!」
「ハルカお兄ちゃん、すごいピアノがじょうずだった!」

舞もうれしそうに、ぱちぱちと手をたたいた。

「はは……、ひさしぶりに弾いたら、疲れました」
「またまた、謙遜(けんそん)しちゃって。……ねえ、またこっちの世界にもどってくる気はないの?」

鈴音が言うと、ハルカが苦笑した。

「鈴音さんの知っているとおり、オレ、いまは死んだことになっているんです。 それに、それがなくてもいまは、ピアノを弾く気にはなりません。……鈴音さんもさっき、あの七年前のマンション火災の話を聞きましたよね?」
「え? ええ……」
「……オレにピアノの楽しさを教えてくれた人は、あの火事で死んだから」

そしてハルカは、どこか昔の記憶をたどるかのように、目を細めながら言った。

「オレのピアノも、あのときに死んだんです」