深神とハルカ、そして赤月兄妹と青空は、そろって六階のダイニングルームへと足を運んだ。
使用人の高松はというと、ほかに仕事があるということで、どこかに行ってしまった。
ダイニングルームには、もう大勢の人であふれ返っていた。
食事は立食形式で、乗客たちは皿を片手に談笑している。
きらびやかな場に目がくらみそうになっていたハルカは、
そんなダイニングルームのはしのほうでピアノを演奏している、鈴音のすがたを見つけた。
ハルカは深神の声をかけた。
「深神さん、オレ、ちょっとピアノを見に行ってきます」
「あ、舞も行く!」
ハルカのとなりの舞も、すかさず元気よく手をあげた。
ハルカと舞は深神たちのもとを離れ、ピアノのそばに近づいた。
さすが船の上で仕事を任されるピアニストというべきか、鈴音のピアノの腕はかなりのものだった。
音色は心地よく、かと言ってこのパーティの雰囲気をじゃましない。
鈴音はふと顔を上げると、演奏を聞きに来たふたりに気がついた。
そして一曲弾き終わると、鈴音は椅子から立ち上がって、ハルカの前へとやってきた。
「やっぱりピアノが気になる? ……白河ハルカ君」
そう言って、鈴音がいたずらっぽく笑った。
「雰囲気があまりにちがうから、最初は気がつかなかったけれど……、あなた、『あの』白河ハルカ君よね?」
「お兄ちゃん、有名人なの?」
ふたりにせまられて、ハルカはたじろいだ。
「あ、ああ……、そうか、鈴音さん、オレのことを知っていたんですね」
「もちろん。だってあなた、あのころは有名だったもの。……ただ、あたしは、もうずっと前にあなたが死んだ、……って聞いたんだけれど」
それから鈴音は、舞に言った。
「舞お嬢さま、ハルカ君はピアニストなのよ」
「ええ、すごい!」
舞が瞳をかがやかせた。
「ピアニストのお姉さんは、腕のないお兄ちゃんのピアノ、聞いたことがあるの?」
「ええ。ハルカ君がまだ舞お嬢さまくらいの年で、あたしが大学生のときにね」
すると舞が、ハルカの右そでの部分をぐいぐいと引っ張った。
「舞もハルカお兄ちゃんのピアノ、聞きたい!」
「い、いや、そういうわけにはいかないだろ!」
ハルカがあわてて、首をふった。
「ここでピアノを弾くのは、鈴音さんの仕事なんだから……っ」
「……ハルカ君、もしかして、いまでもピアノを弾くことができるの?」
鈴音の問いに、ハルカは目に見えてあたふたとあわてた。
「な、ど、どうしてそんな……」
「職業的な勘、かな」
それから鈴音は首をかしげてにこ、と笑った。
「ハルカ君さえよければ、あたしもひさしぶりに、ハルカ君の演奏が聞きたいわ。
あなたがもしもまだ音楽業界に残っていたら、あたしがいままでに引き受けてきた仕事のいくつかは、あなたの仕事だったかもしれない。
……たとえばこの船の上で、ピアノを弾く仕事とかね」
そして鈴音はハルカの背中をやさしく押した。
「ここのピアノはいいピアノよ。右手、貸しましょうか?」
すこし迷ったハルカだったが、やがて意を決してうなずいた。
「左手だけで、だいじょうぶです。それじゃあ……、一曲だけ」
ハルカは遠慮がちにピアノの前へと歩み出た。
そしてピアノの鍵盤を見つめてから、椅子にゆっくりと腰をおろす。
それからハルカは鍵盤の上に左手を置いて大きく息を吸ったあと、その指を軽やかにすべらせた。