古い民家と畑の風景が広がるのどかな田舎町、ハグルマ町。
この町の片隅にある刃物屋で、僕は研ぎ師兼店番として働いていた。
遠い昔から代々受け継がれてきたこの店は、年季の入った木のにおいがして、壁の色もだいぶ色あせている。
おまけに来客もほとんどないような店だけれど、僕はこの店で過ごす時間が好きだった。
ある夏の日の夕暮れ。
そろそろ今日の仕事を終えようかと考えていると、
「君、店を閉めるのはもうしばらくお待ちなさい。どうやらお客のようですよ」
それまでおとなしく椅子に座って本を読んでいたクゼさんが、ふいにそう言った。
クゼさんは灰青色の髪を持ち、いつも燕尾服を着ている変わった男の人だ。
……いや、厳密にいうと、彼は「人」ではない。
信じがたい話だけれど、彼の正体は『灰青色の牛刀』で、いろいろあってこの刃物屋に居ついているのだった。
「こんな時間に、お客ですか? もうすぐ日が落ちてしまう時間だけれど……」
僕が首をかしげていると、ほどなくしてひとりの女性が店に入ってきた。
肩より上の長さに切りそろえた髪に、白いブラウスとタイトスカート。
メガネをかけたその女性は、ぱんぱんに膨れたおおきなボストンバッグを引きずるようにしている。
そして入り口の扉を閉めるなり、ボストンバッグから手を離すと、
恨めしそうに自分の手のひらを睨んだあと、その目を今度は僕に向けた。
「この包丁、研げますか?」
そう言いながら高圧的にボストンバッグを指差す女性に、僕はたずねた。
「そのバッグの中に包丁がいくつか入っているんですね? ご依頼は何本ですか?」
「五十本です」
きっぱりと言い放つ女性。
僕はというと、想像していた本数より桁がひとつ多かったことにおどろいて、二度ほどおおきくまばたきをしてしまった。
「ええと、五十本なら、2日ほどいただければ、すべてお研ぎできますよ」
「たかが包丁を研ぐくらいのことで、時間がかかりすぎです。明朝の5時までに仕上げてください」
思わずもう二度、瞬いてしまう。……どうやらずいぶんと気の強い女性らしい。
僕は時計を見た。時刻は19時少し前。
明日の5時までだと……10時間しかない。
時計の文字盤を見つめながら考え込む僕を、女性はふん、とあざ笑った。
「無理ならそれでかまいません。最初から期待なんてしていませんでしたから」
「……お嬢さん」
それまでの僕たちのやり取りを見ていたクゼさんが、本を閉じて立ち上がった。
クゼさんの口元は笑っているけれど、目が笑っていない。
……まずい。この女性の態度に、どうやらクゼさんは怒っているようだ。
「クゼさん、大丈夫ですよ」
僕はあわてて言った。
「わかりました。……明日までに五十本、僕が引き受けましょう」