五十本 -- 03


夜明け前、僕は最後の一本を研ぎ終わった。
ふう、と息をついて額の汗をぬぐう。

「さすがに……少し疲れました」

時計を見ると、3時30分だった。
コザトさんが包丁を取りに来る5時までには、まだ時間がある。

「君はもう、休みなさい。彼女との応対は、私がやりますから」

クゼさんがそう言って、僕がいつも座っている店番用の椅子に腰をかけた。

「そうですか? ……では、くれぐれもコザトさんに、失礼のないようにお願いしますね」
「わかっています。君のした仕事をむだにするようなことはしませんよ」

僕はクゼさんの言葉に甘えて、奥の部屋で仮眠をとることにした。
よろめきながらも座敷の上に布団を敷いて、横になる。

目を閉じていた時間は、まるで一瞬のように感じたけれど、次に目覚めたのは店にコザトさんがやってきた頃だった。

「あの……包丁、できましたか」
「もちろんですよ。五十本、すべて研いであります」

そんな声が聞こえてきたので、僕はそっと襖を開けて、店内の様子を覗き見た。

コザトさんはボストンバッグの中身を確認したとたん、それまで険しかった表情を、たちまち安堵あんどのものへと変化させた。
彼女はこわばらせていた肩から、ふっと力を抜くと、おどろくほど素直に、ぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございます……! ほんとうに助かりました……!」

顔を上げたコザトさんは、まるでいまにも泣きそうな顔で笑った。

「実は今日、ハグルマ町で料理大会があるんです。でも、3日前に主催のかたが体調を崩されて、急きょ私が代わりに取り仕切ることになって。
あれこれあわただしく準備をしていたんですが、昨日、町で保管していた包丁がずっと手入れされていないことに気づいたんです。
五十本なんて、すぐに仕入れることもできないし、途方に暮れていたら、町の人にここの刃物屋さんは腕がいい、って教えてもらって……でも、刃物屋さんは人のいいかただとも聞いたから、断りづらくならないように、昨日はわざと失礼な態度をとってしまいました。申し訳ありませんでした……!」

コザトさんはもう一度、深々ふかぶかと頭を下げると、クゼさんに茶封筒を差し出した。

「こちらがお代金です。それと……」

コザトさんは、ずっとかかえていた風呂敷包みを机の上に置いた。

「今日、刃物屋さんたちのためにお弁当を作ってきました。お口に合えばいいんですが……」

クゼさんはおどろいたように、その風呂敷包みを見下ろした。
それからしばらく考えたようだったけれど、やがて、両手でそれを自分のほうへと引き寄せた。

「……わざわざ、お気遣いをありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございました! ……あっ! もう時間がないので、私はこれで失礼します……!」

よいしょ、とボストンバッグを両手で引っ張り上げるコザトさんに、

「……お持ちしましょうか?」

クゼさんが声をかけた。
そんなクゼさんに、コザトさんは振り返ってほほ笑んだ。

「いいえ、ぜんぜん重くないですから! ……また後日、あらためてお礼にうかがいますね!」

コザトさんが店から出ていったあとも、クゼさんは店の入り口を見ていた。

「……やってみないとわからないことも、あるでしょう?」

僕が後ろからクゼさんに声をかけると、クゼさんは振り返った。

「……どうやらそのようですね。君はこうなると、予測していたんですか?」
「さあ、それはどうでしょうか」
「私が彼女の内情を察することができなかったのは、……私が人間じゃあないからでしょうか」

まさかクゼさんがそんなことを気にしているとは思わなかったので、僕は少しだけおどろいた。
でも、なんだか急におかしくなって、僕は笑いながら言った。

「なにを言っているんですか。僕のために怒ってくれたクゼさんは、とても人間らしかったですよ?」


おわり
2015/02/09 擱筆
2017/04/10 表記ゆれの修正
2018/11/06 加筆修正、レイアウト変更
2026/06/04 推敲、一部表現修正