エピソード#1 志鶴朔之介


ご注意:この小説は『逆さまの神様』のネタバレ要素を多く含みます。
該当する小説を未読のかたには不親切な描写が多々ありますので、ご注意ください。


じきに日が暮れる。
志鶴朔之介(しづる・さくのすけ)は、公園のベンチに座っていた。

携帯電話を触る以外、最近はほかにすることがない。
しかし、通学鞄のなかに入っている携帯電話の電源は、朝からオフのままだ。

特別な理由はなかった。ただ、なにもかもが億劫(おっくう)だった。
そうしてなにをするでもなく、ぼうっと公園の景色を眺めて数十分。

「またフられていたね、さっくん」

だれもいないはずの朔之介の左隣から、そう声が聞こえた。
その声は聞き間違えようがない、なつかしい友人の声だった。

声は、朔之介にふたたび話しかけてくる。

「あれ? また無視? ……ひどいなあ、さっくん。僕たち、あのころは親友だったのに」
「……消えろ、幽霊」

朔之介は吐き捨てるように言った。

朔之介は、現在高校二年生だ。
彼にはかつて、『亀ヶ淵新弥(かめがふち・にいや)』という友人がいて……、新弥は朔之介が中学二年生のときに、死んだ。 新弥が死んだ原因は、病気や事故ではない。……あるとき学校に忍びこんできた男に運悪く人質にされたあと、殺されたのだ。

「僕が幽霊になったのは、だれのせいだろうね?」

新弥……もっとも朔之介は、あだ名で『ニャー』と呼んでいたが……、その死んだはずの新弥はいま、朔之介のとなりに座っている。
あのときと同じ中学校の制服を着て、……首からは血を流して。

「あのときさっくんが助けにきてくれたら、僕は死なずにすんだかもしれないのにね」

いつからだっただろうか、と朔之介はぼんやりと考える。

新弥が死んでからしばらくして、この『新弥』は朔之介の目のまえに現れるようになった。
そうして朔之介のまえに現れては、そのたびにこうして、朔之介のことをじっとりと責め立てた。

「さっくんが、僕の代わりに死んじゃえばよかったのに」
「……あいつはそんなことを言わない。おまえは、俺が生んだ幻(まぼろし)だ」

朔之介は隣を見ずに、両耳を覆った。
それでも声はおかまいなしに、先ほどよりもはっきりと朔之介の耳に届く。

「ほんとうに僕、言わなかったかな?」

新弥は笑っているようだ。声は続く。

「さっくんは、ほんとうに僕のことを覚えてる? どんなふうに笑っていたか。どんな声で、どんな顔をしていたか。なにが好きで、なにを憎んでいたか。さっくんは、僕のなにを覚えているっていうの?」
「やめろ……、やめてくれ!」

朔之介は耐えきれずに立ち上がった。
新弥はというと、感情のない顔で朔之介を見上げている。

「俺だって、代われるものなら代わりたかったよ!」

朔之介は、涙声だった。
……みっともない。しっかりしろ、目のまえにいるこいつは偽物の新弥なんだ、と朔之介は自分に言い聞かせる。

新弥に断罪されたいがために朔之介が生み出した、偽物の幽霊。
ほんとうの新弥は、ここにはいないのだ。

朔之介はぎゅっ、と目をつむってうなだれた。

「……だから、そんな目で見るなよ、ニャー……」
「……志鶴?」

はっとして朔之介が振り返ると、そこには朔之介の同級生、下水流詩良(しもつる・しいら)が立っていた。
中学のときにはふたつに結んでいた髪は、いまは高い位置でひとつにまとめている。 スカートの丈(たけ)は相変わらず短いが、あのころに比べると、見た目の派手さはだいぶ落ち着いていた。

詩良は訝しげな顔をして、朔之介の様子をうかがっている。

ベンチに新弥のすがたは、もうない。
朔之介は詩良に向き直り、無理やり笑みを作った。

「なんだ詩良か、ひさしぶりだな。高校に入ってからろくに話もしなかったしな」
「……あたしに気なんて遣うなよ、どうせ思い出していたんでしょ?」

詩良は小さくため息をつくと、先ほどまで新弥が座っていた場所に腰をおろした。
朔之介はとまどい、目を泳がせる。

「いや、その話は……」
「無理に考えないようにするから、そこまで思いつめることになるんだよ」

詩良に言われ、朔之介は肩をすくめる。

「やめてくれ……、もう、忘れたいんだ」
「亀ヶ淵のことを?」

ためらいもせずに新弥の名前を口にする詩良に、朔之介は反射的に声をあげた。

「おまえな……、」

そのとき、詩良がふいに立ち上がった。
そしてそのまま、朔之介の目のまえに仁王立ちした。

詩良のうしろでは夕日がいまにも沈もうとしていて、逆光が詩良の影を濃くしている。

詩良はおもむろに、スカートをめくりあげた。

「な、なにしてやがる!?」
「見て」

言われて、朔之介はおそるおそる詩良に目をやった。

よく見てみれば、詩良がめくったのはスカートの左がわのすそだった。
そしてそこからのぞいている太ももには、何針も縫ったあとのある、痛々しい傷跡が残っているのが見えた。

……そうだった。
詩良もあの事件に巻きこまれた生徒のひとりだったのだと、いまさらながらに朔之介は思い出した。

「あたしたちからは一生、消えない」

詩良が静かに言った。

「亀ヶ淵は、もういないんだよ」

そして詩良は、朔之介に手を差し出した。

「あたしたちは亀ヶ淵がいないいまを、歩いていくしかないんだよ。それなのに、志鶴が過去に引っ張られてどうするんだよ」

朔之介は、無意識に詩良の手をつかんでいた。
詩良は、泣き出しそうな顔で、にっ、と笑った。

「……あたしたちが、亀ヶ淵の思い出を未来に連れていこう」

そのとき、朔之介はふとベンチを振り返った。
もちろんそこには、だれもいない。

しかし、詩良がぽつりとつぶやいた。


「……なんだかいま、亀ヶ淵の声が聞こえた気がする」


オレンジ色の夕日に染まった空。
その空の端に黒くひしめくビルや木々のかたちは、まるで切り絵のようだ。

朔之介と詩良は、しばらく黙ったまま公園で立ち尽くしていた。


……いま聞こえてくるのは、もう、ひぐらしが鳴く声だけだ。


おわり
2019/06/11 擱筆