ご注意:この小説は『逆さまの神様』のネタバレ要素を多く含みます。
該当する小説を未読のかたには不親切な描写が多々ありますので、ご注意ください。
じきに日が暮れる。
志鶴朔之介(しづる・さくのすけ)は、公園のベンチに座っていた。
携帯電話を触る以外、最近はほかにすることがない。
しかし、通学鞄のなかに入っている携帯電話の電源は、朝からオフのままだ。
特別な理由はなかった。ただ、なにもかもが億劫(おっくう)だった。
そうしてなにをするでもなく、ぼうっと公園の景色を眺めて数十分。
「またフられていたね、さっくん」
だれもいないはずの朔之介の左隣から、そう声が聞こえた。
その声は聞き間違えようがない、なつかしい友人の声だった。
声は、朔之介にふたたび話しかけてくる。
「あれ? また無視? ……ひどいなあ、さっくん。僕たち、あのころは親友だったのに」
「……消えろ、幽霊」
朔之介は吐き捨てるように言った。
朔之介は、現在高校二年生だ。
彼にはかつて、『亀ヶ淵新弥(かめがふち・にいや)』という友人がいて……、新弥は朔之介が中学二年生のときに、死んだ。 新弥が死んだ原因は、病気や事故ではない。……あるとき学校に忍びこんできた男に運悪く人質にされたあと、殺されたのだ。
「僕が幽霊になったのは、だれのせいだろうね?」
新弥……もっとも朔之介は、あだ名で『ニャー』と呼んでいたが……、その死んだはずの新弥はいま、朔之介のとなりに座っている。
あのときと同じ中学校の制服を着て、……首からは血を流して。
「あのときさっくんが助けにきてくれたら、僕は死なずにすんだかもしれないのにね」
いつからだっただろうか、と朔之介はぼんやりと考える。
新弥が死んでからしばらくして、この『新弥』は朔之介の目のまえに現れるようになった。
そうして朔之介のまえに現れては、そのたびにこうして、朔之介のことをじっとりと責め立てた。
「さっくんが、僕の代わりに死んじゃえばよかったのに」
「……あいつはそんなことを言わない。おまえは、俺が生んだ幻(まぼろし)だ」
朔之介は隣を見ずに、両耳を覆った。
それでも声はおかまいなしに、先ほどよりもはっきりと朔之介の耳に届く。
「ほんとうに僕、言わなかったかな?」
新弥は笑っているようだ。声は続く。
「さっくんは、ほんとうに僕のことを覚えてる? どんなふうに笑っていたか。どんな声で、どんな顔をしていたか。なにが好きで、なにを憎んでいたか。さっくんは、僕のなにを覚えているっていうの?」
「やめろ……、やめてくれ!」
朔之介は耐えきれずに立ち上がった。
新弥はというと、感情のない顔で朔之介を見上げている。
「俺だって、代われるものなら代わりたかったよ!」
朔之介は、涙声だった。
……みっともない。しっかりしろ、目のまえにいるこいつは偽物の新弥なんだ、と朔之介は自分に言い聞かせる。
新弥に断罪されたいがために朔之介が生み出した、偽物の幽霊。
ほんとうの新弥は、ここにはいないのだ。
朔之介はぎゅっ、と目をつむってうなだれた。
「……だから、そんな目で見るなよ、ニャー……」
「……志鶴?」
はっとして朔之介が振り返ると、そこには朔之介の同級生、下水流詩良(しもつる・しいら)が立っていた。
中学のときにはふたつに結んでいた髪は、いまは高い位置でひとつにまとめている。 スカートの丈(たけ)は相変わらず短いが、あのころに比べると、見た目の派手さはだいぶ落ち着いていた。
詩良は訝しげな顔をして、朔之介の様子をうかがっている。
ベンチに新弥のすがたは、もうない。
朔之介は詩良に向き直り、無理やり笑みを作った。
「なんだ詩良か、ひさしぶりだな。高校に入ってからろくに話もしなかったしな」
「……あたしに気なんて遣うなよ、どうせ思い出していたんでしょ?」
詩良は小さくため息をつくと、先ほどまで新弥が座っていた場所に腰をおろした。
朔之介はとまどい、目を泳がせる。
「いや、その話は……」
「無理に考えないようにするから、そこまで思いつめることになるんだよ」
詩良に言われ、朔之介は肩をすくめる。
「やめてくれ……、もう、忘れたいんだ」
「亀ヶ淵のことを?」
ためらいもせずに新弥の名前を口にする詩良に、朔之介は反射的に声をあげた。
「おまえな……、」
そのとき、詩良がふいに立ち上がった。
そしてそのまま、朔之介の目のまえに仁王立ちした。
詩良のうしろでは夕日がいまにも沈もうとしていて、逆光が詩良の影を濃くしている。
詩良はおもむろに、スカートをめくりあげた。
「な、なにしてやがる!?」
「見て」
言われて、朔之介はおそるおそる詩良に目をやった。
よく見てみれば、詩良がめくったのはスカートの左がわのすそだった。
そしてそこからのぞいている太ももには、何針も縫ったあとのある、痛々しい傷跡が残っているのが見えた。
……そうだった。
詩良もあの事件に巻きこまれた生徒のひとりだったのだと、いまさらながらに朔之介は思い出した。
「あたしたちからは一生、消えない」
詩良が静かに言った。
「亀ヶ淵は、もういないんだよ」
そして詩良は、朔之介に手を差し出した。
「あたしたちは亀ヶ淵がいないいまを、歩いていくしかないんだよ。それなのに、志鶴が過去に引っ張られてどうするんだよ」
朔之介は、無意識に詩良の手をつかんでいた。
詩良は、泣き出しそうな顔で、にっ、と笑った。
「……あたしたちが、亀ヶ淵の思い出を未来に連れていこう」
そのとき、朔之介はふとベンチを振り返った。
もちろんそこには、だれもいない。
しかし、詩良がぽつりとつぶやいた。
「……なんだかいま、亀ヶ淵の声が聞こえた気がする」
オレンジ色の夕日に染まった空。
その空の端に黒くひしめくビルや木々のかたちは、まるで切り絵のようだ。
朔之介と詩良は、しばらく黙ったまま公園で立ち尽くしていた。
……いま聞こえてくるのは、もう、ひぐらしが鳴く声だけだ。
おわり
2019/06/11 擱筆