アフターサービス(b)


主婦一名、少女一名、死亡。
男一名、意識不明。

絵画探しの依頼の成果に、深神は顔をしかめた。

「……われながら、これはひどいな」

深神は緋色の死体から自分の名刺を回収し、念のため、倉永の手と足もロープできつく縛っておいた。
これで目が覚めても、自力ではどうすることもできないだろう。

深神はぬらしたタオルを電子レンジで人肌の温度に温めると、萌乃の顔や腕についた血をふいてやった。

萌乃はひどく乾いた表情をしていた。
深神が血をぬぐい取ってやるあいだも、ただ無言で、壁を見つめているばかりだった。

萌乃をひととおりきれいにしてやると、深神は彼女を、一階の書斎に連れていった。
そして本棚のまえに立つと、その一画から本をごそりと取り出していった。

まえにこの部屋に入ったときから、気づいてはいた。
この一画だけ、ほんのわずかだが、本が前へとせり出していたのだ。

本をすべて取り出し、たな板もすっかりはずしてしまうと、奥にうすい板が見えてきた。
その板を慎重にはがし、深神はその向こうにあったあの『山葡萄のレクイエム』を取り出した。

淡い色で着色された、茶色のイヌの絵。

倉永は多分、サバト云々の事情よりも、 純粋にこの「ナキオに似ているイヌが描かれた絵」を萌乃に見せてやりたくて、千代に渡したのだろう。

深神は「山葡萄のレクイエム」を萌乃にも見せた。

「この絵は、君の好きにするがいい」

萌乃はじっとその絵を見たあと、黙って部屋を出て行った。
そしてすぐにもどってくると、 あの血塗れたカッターナイフを、絵画の真ん中にぶすりとつき刺した。

「こんなの、ナキオじゃない」

ぽろぽろと、涙が絵画の上にこぼれていく。
萌乃は泣きながら、絵をずたずたに切り裂いていった。



「志摩子。早々に悪いが、事件の偽装と、死体の身元の入れ替えを頼みたい。 それとハルカに伝えてほしいのだが……」

萌乃の隣で電話をし終えた深神は、腰をかがめて萌乃と視線を合わせた。

「君を私の事務所で引き取ることにする」

とつぜんの申し出に、萌乃は困惑したようだった。

「でも……」
「葵萌乃ちゃんのお母さんと萌乃ちゃんの友だちが亡くなり、萌乃ちゃんは生き残った。 この事実は変わらない、それはわかるね」
「……はい」
「これだけの情報なら、世間の関心は必ず、萌乃ちゃんに向かうだろう」
「でも現に、私はひいちゃんを……」
「私はね、萌乃ちゃん」

深神は笑った。見ようによっては、それは無垢なほほえみだった。

「世のなかの常識としての善や悪は、それほど重要なことではないと思っている。 あざとく薄汚い善とやらより、私は矛盾のない君の思想と行動力のほうが美しいと思う。 私は君を私のそばに置きたいが、君はいやか?」
「いやじゃ……ないけれど、うれしいけれど、でも、じゃあどうすれば……」
「条件は、君がこれから『宮下緋色』として生きること」

萌乃はおどろきに、息をのんだ。

「ひいちゃんとして? ……私が?」
「『葵萌乃』はここで死ぬ。 事件を偽装するにはそれが一番いいし、親族というのも厄介だからね。 身寄りのない『宮下緋色』に成り代わることは、二重の意味で都合がいいのだ。この条件がのめるかい?」

萌乃は考えた。

『宮下緋色』として生きるということは、どんなものなのだろう。
でも、『葵萌乃』が今日『死んだ』ということは、なんだかしっくり来る気もした。

「……もう一度、お母さんとひいちゃんを見に行っていいですか」
「ああ、いいとも」

深神と一緒に自分の部屋に戻った萌乃は、まずは緋色を見た。
派手な赤色に染まってはいるが、ふしぎと顔は安らかだ。

今度は千代に視線を移す。
千代の目は深神が先ほど閉じてくれたので、やはり眠っているように見える。

ふたりの死体を見下ろしながら、萌乃は心の中で告げた。

さようなら、お母さん。
さようなら、『葵萌乃』。

さようなら、私。

少女は顔を上げ、真っ直ぐと深神を見た。


「みかみ先生。私、今日から『宮下緋色』として生きます」