調査 3日目(d)


深神は鼻で笑ったようだった。

「知っているもなにも、一時期は世間を騒がせた話ではないか。 男版シンデレラとして羨望の的だった男が、呆気なく亡くなったのだから」

数々の企業を束ねる巨大なグループ、赤月グループの代表、赤月桜子。
そしてその夫となった灰住叶(はいずみ かなう)は、どちらも二人の同窓生だった。

志摩子は深神の表情の真意を探りながら、言った。

「……あんたが『やった』んじゃないかと疑ったりもしたけれど、そんなわけないのよね。 元から灰住君は病弱だったし……、そもそも桜子があのとき、 わざわざ海外へ行ってあの男と入籍してからこっちへ帰ってきた理由、あんたもわかっているでしょう?」

深神の口は笑った形のままだったが、志摩子の目は見なかった。

「わかっていたら、どうだというのだ?」
「いい加減、桜子とよりをもどしなさい」

そこでウェイターが食事を持ってきた。

「気まぐれパフェとセットの温かい紅茶、なめらかチーズケーキと珈琲になります」
「ええ、ありがとう」

ウェイターは皿をそれぞれの前へと置くと、「どうぞごゆっくり」と頭を下げて去っていった。

志摩子はフォークを手に取り、 チーズケーキの端をフォークの先でちまちまとすくった。

「あのころとちがって、もうしがらみはないでしょう。 あんたと桜子が今結ばれるのは、ごく自然な形よ。なにもおかしいことなんかない」
「結婚することだけが、しあわせとも限らないよ」

パフェを口に運び、目を細める深神。
志摩子は机の上に片ひじをついた。

「ああ、あんたたちを見ているといらいらするのよねえ。 なんとかならないのかしら、この自己犠牲の塊みたいな人たちは」
「志摩子だって刑事になったではないか。あと食事中にひじをつくのはお行儀がわるいぞ」
「あたしは自己犠牲じゃなくて、自己満足でやってるの。あとあんたに行儀悪いなんて言われたくない」

いらつきをまったく隠さずに、志摩子はチーズケーキを口に入れていった。
しばらくは二人とも黙々と食べていたが、先にケーキを食べ終えた志摩子は、口元をぬぐった指を紙ナフキンでふいた。

「でも、いつだって警察を辞める覚悟があるくらいのコマなら、ここにいるって覚えておいてね」

深神はというと、パフェのクリームをすくう手を止めない。
その手の動きを見ながら、志摩子が言った。

「じゃ、そろそろ本題に入りましょう。葵和也の事件について教えて」
「……勝手なやつだな」

深神はそう言ったが、言葉とは裏腹に、そこに非難の色はなかった。

「警察はどこまで知っているのか知らないが、あの家で絵画が盗まれている」
「ああ、『山葡萄のレクイエム』でしょう」
「その絵画の捜索を依頼された」

志摩子は珈琲に口をつけた。

「へー。もしかして、奥さんはあのチャラ男のことが好きなのかしら」
「なに? チャラオ? それはどういう意味だ」

聞き慣れない単語に、深神がパフェからようやく目を離した。

「あの絵は、倉永直っていう男から譲り受けたって、葵さんの奥さんが言っていたわよ。 その男がなんだかチャラチャラしてたからチャラ男」
「私には、夫が持ってきたものだと言った」

そう言ったものの、深神も特におどろいたようすではなかった。

「しかし、倉永氏と葵夫人の間に男女の関係なら、あっただろうな。 まあ、世間で言うところの不倫になるが。 倉永氏は結婚指輪をしていないのに、身に着けている衣服が高価なものだった。あれは、既婚女性が選ぶ服だ」
「警察に隠しごとをするには後ろめたくても、探偵にはできる限り、ふせたかったのね。 必要以上のイザコザは、他人には知られたくないものでしょう」
「ふうむ……、そういうものか」

そのとき、ぴろりろ、と気の抜ける単音が深神のポケットから鳴った。
深神は携帯を取り出すと、

「……ハルカか。……そうか、わかった」

会話も短く、深神はすぐに携帯をしまう。

「どうしたの?」
「葵家からいなくなったイヌが、死体で発見された。どうやら道路脇で、車にひかれていたらしい」

なにがどうつながっているのかわからない志摩子は、おとなしく深神の次の言葉を待った。
深神は立ち上がると、事務所のカギを志摩子へと放り投げた。

「志摩子、今日は非番だったな。念のため、私が連絡するまではハルカの相手をしていてくれ」