夜と自転車(d)


古山高校から出発して、四十分ほど経ったころ。
僕たちはもうすぐ古山市から出てしまうくらいの、ぎりぎりの場所まで来ていた。

市内でも、にぎやかな町中にある古山高等学校とちがって、この辺りは見渡す限り、延々と畑が広がるばかりだった。
道の状態も悪く、翠に負担をかけないように自転車をあやつることに、苦労した。

次の停留所が、終点だ。バスはこの停留所で折り返し、また古山高校のほうへと帰っていく。
暗い夜道に浮かび上がる、最後の停留所の明かりが見えてきた瞬間、

「紺!」

僕より先に、翠が声をあげた。
目をこらすと、停留所のベンチの上に、膝を抱えて座っている小さな人影が見えた。

「……お姉ちゃん!」

自転車で近づくと、紺は笑顔で立ち上がった。
そして翠にがっしり抱きつくと、ちらりと僕の顔を見た。

「……このお兄ちゃんは?」

あのマフラーをしていない僕のことを、紺は識別できないのだった。
僕の代わりに、翠が答えた。

「彼は、和也よ。ねえ紺、怪我はない? なにかひどいこと、されなかった?」
「ううん、ぜんぜん! ね、和也お兄ちゃん!」

なぜか紺は、僕のほうを見て、にこにことした。
訳もわからず紺を見下ろした僕に、紺は思いがけないことを言った。

「もう、ぼく、待ちくたびれちゃったよ! いつまで待っても、和也お兄ちゃん、来てくれないんだもん!」

そう言いながら、紺は僕にも抱きついてくる。

「え? 僕が来るって、どうしてわかったの?」
「だって、約束したじゃない!」

紺は上目づかいで、怒ったように頬をふくらませた。

「お兄ちゃんがお迎えに来るまで、この停留所で待っていて、って。 ……そういえば、もう風邪は治ったの? さっきは声がへんだったのに、いまはもどってるね」

僕は、とっさに言いかけた言葉を飲み込んだ。

それは僕じゃあない。
だれかが僕に、なりすましたんだ。

でも、そんなことは翠が一番、わかっている。

そしてきっと、……だれが僕に、なりすましたのかということも。