プロローグ


指の先が凍るような寒い冬は、いつの間にか終わっていた。

いまは、四月。
月見坂(つきみざか)学園まえの通りの桜は満開だ。

その晴れやかな桜色は青い空とのコントラストもあいまって、いかにも月見坂学園の新学期を歓迎しているかのように陽気に見えた。

この春、僕は月見坂学園高等部の一年生となった。
しかし、特に新鮮味は感じない。

それもそのはずで、月見坂学園は初等部から高等部までの一貫校であり、 僕はついこのあいだまでこの学園の中等部に通(かよ)っていたのだ。

クラスメイトも、ほとんどが見慣れた顔だ。
それでも、真新しい制服に身を包んだ馴染みのクラスメイトの顔はどこかよそいきで、気取っていた。

始業式が終わり、新たなクラスでのあいさつも終えて、その日、僕はそのまま教室から出て行くはずだった。

しかし、僕の目の前に急に影が落ちた。
だれかが僕の前に立ったのだ。

なんだろうと顔を上げると、そこには同じクラスの男子生徒が立っていた。

すこし硬そうな髪にするどい目つき。
じっと見つめられると、まるでにらまれているかのようだ。

……見たことのない顔だ。

中等部からそのまま上がってきた同級生たちのことはほとんど把握しているから、彼は外部からこの学園に入学してきた生徒だろう。

なにか、僕に用事でもあるのかな。

しげしげと彼のことを見つめていると、彼の口もとがわずかにほほえみを作った。

「やはりまた会ったな、山吹彩人(やまぶき・あやと)」

僕はおどろいた。
まさかいきなり、名前を呼ばれるとは思っていなかったからだ。

僕がなんと答えればいいのか戸惑(とまど)っていると、彼はいぶかしげに眉をひそめた。

「……なんだ、もしかして忘れてしまったのか? 八年前に、一度会ったことがあるだろう」

その言葉に、僕はあわてて言った。

「は、八年前? そんな昔のことは……」
「薄情なやつだな」

彼は大きくため息をついた。
どこからか桜の花びらがひらひらと舞いこんできて、僕は教室の窓が開いていたことに気がつく。

彼の前髪の上に、その花びらがはらりと落ちた。
彼は花びらに視線を動かすことはなく、しかし指先でつまんではらった。

「八年前、私はこう言ったはずだ。
『私の名前はミカミ。私たちがもう一度会うことがあるならば、……それは運命だろう』、と」

そう言って、彼……『ミカミ』は、どこか不敵に笑ったのだった。