短い呼び出し音のあとに、緋色はすぐに電話に出た。
『……もしもし?』
「僕だ。いま、ひとりになった。みずき……、もうひとりの女の子は、少なくとも二十分くらいは、もどってこないと思う」
『ねえ、あおちゃん』
緋色は、どこかあせった声で、言った。
『いますぐ私のところに来て』
「え? それはいいけれど、どちらにしてもみずきがもどってきてから……」
『だめ!』
緋色が、わずかに声を荒げた。
『ぜったいにだめ。村崎みずきからいますぐ離れて! お願い』
「じゃあ、彼女ひとりをここに置いていけ、っていうのか?」
僕には緋色の言っていることが、理解できなかった。
「どういうことか説明してもらわないと、納得できない」
緋色はしばらくのあいだ黙っていたけれど、やがて小さな声で言った。
『説明するには、時間が足りないの。あおちゃん、なにも聞かずに探偵事務所にひとりで来て。約束だよ』
「ちょっと待っ……」
通話はそこで、またしても一方的に切られてしまった。
……意味がわからない。
あの日……、といってもこちらの世界では『きのう』、だれもいない池袋で、カギのかかっていた事務所を思い出す。
……あのときも、すでに緋色は事務所のなかにいたのだろうか。
……それならどうして、応えてくれなかった?
僕はみずきのベッドに腰をかけた。僕のベッドとはちがい、ふかふかで弾力があった。
思わずそのベッドに身を投げ出して、大の字になる。
わずかにみずきのにおいが残っている。あまくて、心地いいにおいだ。
しばらくベッドに横になってうつらうつらしていると、
部屋の扉がぎい、と開く音がしたので、僕はあわてて上半身を起こした。
「お待たせしました、蒼太さん」
「あ、うん、おかえ……」
なにげなくみずきに視線を向け、思わず僕はせきこんだ。
みずきはなんと、バスタオルを一枚巻いただけのすがただった。
まだぬれている髪に、シャワーの熱のせいか、すこし赤味を帯びた頬。
たぶん、僕はぽかんと口を開けていたことだろう。
とっさにつばをのみこみ、ゆっくりと落ち着いて、慎重にたずねる。
「……ど、どうしたんだ?」
「蒼太さん」
みずきがこちらへ歩いてくる。
そしてベッドの上に腰かけたままだった僕のとなりに、すっと腰を下ろした。
「私、この世界で蒼太さんに会えて、ほんとうによかったと思っています」
彼女は熱のこもった口調でそう言った。
「私ひとりでは、きっとたえられませんでした……」
とてもではないが、僕はみずきの顔を直視できなかった。
みずきは続けた。
「あなたのことが好きです、蒼太さん」
胸の奥が、ざわざわした。
彼女はぎゅっと、太ももの上で、こぶしをにぎりしめている。
はじめて僕たちが出会った時と同じように、その手は震えていた。
「うそでいいんです。いまだけのうそでいいから、……私のことが好きだ、……って、言ってくださいませんか」
バスタオルをへだてて、となり合わせの彼女の体温を感じる。
いつものみずきとはちがう、
洗い立ての、かすかなシャンプーのにおい。
僕は彼女のその細い肩をこわごわと抱いた。
触れた彼女の肌は、まだしっとりとぬれていた。
僕はもう片方の手で、彼女の頭を僕の体へと引き寄せた。
もうむりだ。どうにでもなれ。
僕は、彼女の耳もとでささやいた。
「好きだよ、みずき」
僕なんて死んでしまえ、と思った。
思いながら僕は、
彼女の顔を僕に向けさせ、彼女のくちびるを奪った。