7月7日(--) 32時12分(a)


いつの間にか、朝になっていたらしい。

パンの焼けるにおいがする。トーストだろうか。
じゅわ、とフライパンを火にかける音もする。

しかし、ここは深神探偵事務所ではなかった。
まちがえようもない、僕の部屋だ。

僕は一度だけ、深呼吸をした。
こころを落ち着かせ、手もとにあった携帯電話を開く。

日付は七月七日の月曜日。
……時刻はなんと、三十二時だった。

テレビの横のアナログの置時計を見てみると、十二時ぴったりのところで針が止まっている。

「あら、起こしちゃいましたか?」

声をかけられて、身体を起こす。
長い髪を一つにたばねて、白いエプロンをつけた村崎みずきが、ベッドのまえに立っていた。

「おはようございます、蒼太さん」

みずきの手には、目玉焼きの乗った皿。エプロンの下には『きのう』渡した僕の服を着ている。

「……おはよう」

みずきはテーブルの上にことん、と皿を置くと、ふたたびキッチンのほうへともどっていった。

僕はベッドから出て、窓の外を見渡した。空はあいかわらずの灰色で、人の気配もない。
僕は右手に視線を落とした。きのう、コンクリートをなぐったこぶしには、まだ傷あとが残っている。

ほどなくして、みずきが部屋にもどってきた。

「キッチンを勝手に使ってしまってごめんなさい。 蒼太さんよりはやく目が覚めたので、ちょっと食材をお店から持ってきてしまいました」

それから自分の白いエプロンのすそを、指でつまんでみせた。

「これも、お店からの借り物だったり」
「……ごめん、全部任せきりで。みずきはずいぶん、はやくから起きていたんだね」
「いつも朝は、はやくに起きているんです。それにこういうことをするのは好きですから」

みずきはにこにこと笑う。

……やはり、いままで僕がいたはずの七月四日のほうが、夢だったのだろうか。
頭のなかを、現実的な考察と非現実的な願望が、ぐるぐるとうずまいている。

「……あ」

そして僕は重要なことを思い出した。

「きのう、君がシャワーを浴びているあいだに寝てしまったんだった。君はきのう、どこで寝たんだ?」

みずきは「ああ」と小さく首をかしげた。

「蒼太さんがあまりにも気持ちよさそうにベッドに寝ていたから、 なんだか起こすのもわるくて……、きのうは床の上に寝ちゃいました」

僕は手のひらを目の上に置き、ため息をついた。

「そんなことなら、起こしてくれればよかったのに……、女の子を床に寝かすだなんて」
「うふふ、だいじょうぶですよ。ちょっと新鮮で楽しかったくらいです。 さあ、それよりもはやく朝食を食べてください」

みずきは鼻歌でも歌いだしそうな楽しげな顔で、トーストにバターをぬっていく。

「はい、蒼太さんのぶんですよ」

僕の目のまえに、焼きたてのトーストが差し出された。
僕は納得のいかないまま、受け取ったトーストを頬張った。

「……おいしい」

さく、という心地いい食感、温かさと香ばしいにおい。
僕が黙々と食べるようすを、みずきは笑って見ている。

「蒼太さん、ほんとうにおいしそうに食べますね。そうだ、お紅茶と牛乳、どちらがお好みですか?」
「ああ、僕がいれてくるよ」
「いいんです、私にさせてください。この世界で……蒼太さんがいてくれて、どれだけ私が救われたことか。 すこしでもお役に立ちたいんです」

そんなの僕も同じだ、と言おうとしたが、 口にしてしまえばこの世界を肯定してしまう気がして、結局僕はその先を言うことができなかった。