いつの間にか、朝になっていたらしい。
パンの焼けるにおいがする。トーストだろうか。
じゅわ、とフライパンを火にかける音もする。
しかし、ここは深神探偵事務所ではなかった。
まちがえようもない、僕の部屋だ。
僕は一度だけ、深呼吸をした。
こころを落ち着かせ、手もとにあった携帯電話を開く。
日付は七月七日の月曜日。
……時刻はなんと、三十二時だった。
テレビの横のアナログの置時計を見てみると、十二時ぴったりのところで針が止まっている。
「あら、起こしちゃいましたか?」
声をかけられて、身体を起こす。
長い髪を一つにたばねて、白いエプロンをつけた村崎みずきが、ベッドのまえに立っていた。
「おはようございます、蒼太さん」
みずきの手には、目玉焼きの乗った皿。エプロンの下には『きのう』渡した僕の服を着ている。
「……おはよう」
みずきはテーブルの上にことん、と皿を置くと、ふたたびキッチンのほうへともどっていった。
僕はベッドから出て、窓の外を見渡した。空はあいかわらずの灰色で、人の気配もない。
僕は右手に視線を落とした。きのう、コンクリートをなぐったこぶしには、まだ傷あとが残っている。
ほどなくして、みずきが部屋にもどってきた。
「キッチンを勝手に使ってしまってごめんなさい。
蒼太さんよりはやく目が覚めたので、ちょっと食材をお店から持ってきてしまいました」
それから自分の白いエプロンのすそを、指でつまんでみせた。
「これも、お店からの借り物だったり」
「……ごめん、全部任せきりで。みずきはずいぶん、はやくから起きていたんだね」
「いつも朝は、はやくに起きているんです。それにこういうことをするのは好きですから」
みずきはにこにこと笑う。
……やはり、いままで僕がいたはずの七月四日のほうが、夢だったのだろうか。
頭のなかを、現実的な考察と非現実的な願望が、ぐるぐるとうずまいている。
「……あ」
そして僕は重要なことを思い出した。
「きのう、君がシャワーを浴びているあいだに寝てしまったんだった。君はきのう、どこで寝たんだ?」
みずきは「ああ」と小さく首をかしげた。
「蒼太さんがあまりにも気持ちよさそうにベッドに寝ていたから、
なんだか起こすのもわるくて……、きのうは床の上に寝ちゃいました」
僕は手のひらを目の上に置き、ため息をついた。
「そんなことなら、起こしてくれればよかったのに……、女の子を床に寝かすだなんて」
「うふふ、だいじょうぶですよ。ちょっと新鮮で楽しかったくらいです。
さあ、それよりもはやく朝食を食べてください」
みずきは鼻歌でも歌いだしそうな楽しげな顔で、トーストにバターをぬっていく。
「はい、蒼太さんのぶんですよ」
僕の目のまえに、焼きたてのトーストが差し出された。
僕は納得のいかないまま、受け取ったトーストを頬張った。
「……おいしい」
さく、という心地いい食感、温かさと香ばしいにおい。
僕が黙々と食べるようすを、みずきは笑って見ている。
「蒼太さん、ほんとうにおいしそうに食べますね。そうだ、お紅茶と牛乳、どちらがお好みですか?」
「ああ、僕がいれてくるよ」
「いいんです、私にさせてください。この世界で……蒼太さんがいてくれて、どれだけ私が救われたことか。
すこしでもお役に立ちたいんです」
そんなの僕も同じだ、と言おうとしたが、
口にしてしまえばこの世界を肯定してしまう気がして、結局僕はその先を言うことができなかった。