「縁切り……」
「そうです」
僕はうなずいた。
「太陽が完全にしずむまえ、木に赤い糸をくくりつけて、その先を自分の小指に結ぶ。そして縁を切りたい相手のことを思い浮かべながら、その糸をこの縁切り鋏で切る。そうすると、相手との縁を完全に切ることができる、……と言われています」
僕は縁切り鋏を、ツグミさんの手のひらのうえに乗せた。
「これを、ツグミさんに差し上げます」
「……いいんですか?」
「その鋏はもともと、必要としているかたに譲ろうと思っていたものですから。試してみたことはないので、伝え話がほんとうかどうかはわかりませんが。あ、それと、ひとつだけ注意事項があって……」
「ただいまもどりました。……おや、お客ですか?」
そのとき、いままで出かけていたクゼさんがもどってきた。
手には数冊の本を持っている。また、古本屋で本を買ってきたのだろう。
クゼさんは灰青色の髪を持ち、いつも燕尾服を着ている、変わった男の人だ。
……いや、厳密にいうと、彼は「人」ではない。信じがたい話だけれど、彼の正体は「灰青色の牛刀」で、いろいろあってこの刃物屋に居ついているのだった。
そんなクゼさんを見て、ツグミさんが「ぴゃっ!」と短い悲鳴をあげた。
そしてすかさず、僕のうしろに隠れた。
「ここ、こんにちは……」
ツグミさんはふるえながら、クゼさんにあいさつした。
……どうやら、ツグミさんはクゼさんのことがこわいらしい。僕がひとりで店番をしているときにここへやって来たのは、そういうわけか。
「あのっ、刃物屋さん、鋏、大事にします! それではまた……!」
ツグミさんはそう言うと、転がるように店から出て行ってしまった。
「……なんなんですか、いったい」
クゼさんが不審そうな顔で、ツグミさんの背なかを見送った。
「クゼさんの正体が刃物だということを、どこかで感じているのかもしれませんね。彼女は、繊細な感性を持っていそうですから」
そして僕は、ツグミさんが出て行った扉を見つめながら言った。
「ツグミさんに伝えられなかったけれど……、縁切り鋏は、縁を切るまえに相手に鋏を見られてしまうと、その人とは二度と縁が切れなくなってしまうんですよね……」
縁切りに失敗して、彼女がさらに、不幸を背負うことにならなければいいけれど。
店のそとの通りには、黒い影が長く伸びている。
……あとはもう、うまくいくことを願うことしか、僕にはできなかった。