五十本(b)


女性客、……コザトさんが帰ってから、僕はコザトさんのボストンバッグを開けて、中身を確認した。
そこにはたしかに、新聞紙で包まれた刃物らしいものがずっしりと詰まっていた。

それらのひとつを手に取り、新聞紙を剥がしてみる。

包まれていたのは、なんの変哲(へんてつ)もない、ふつうの料理包丁だ。
ただし、どれもすこしずつ錆(さ)びが出てきている。どうやら古いものらしい。

僕の横でいっしょに包丁の状態を確認したクゼさんが、あきれたように言った。

「君、それら全部を研ぐのに、いったいどれだけの時間がかかると思っているんです?」
「約八時間。すこし長めに見積もっても、……朝の四時には仕上がります」

それから僕は、すぐに作業に移った。

一本を手にとって、ていねいに研ぐ。研ぎ終わったら、つぎの一本を手に取る。

今回依頼された包丁は、どれも同じ型だった。
ひとつひとつの刃物に個性があるとはいっても、これだけの数を続けて研いでいると、
なんだか時間が巻きもどっているかのような錯覚を起こしそうだった。

押し寄せる眠気からなんとか持ちこたえ、包丁を研ぎ続けること五時間ほど。
ずっと黙っていたクゼさんが、僕に声をかけてきた。

「だいじょうぶですか? 顔色が悪いですよ」
「僕は平気です。……でも、話しかけてもらえると、眠らずにすむのでありがたいです」

それを聞いたクゼさんは、ふう、とため息をつくと椅子から立ち上がった。
閉じた本を椅子の上に置いて、クゼさんは作業場のまえ……僕の目のまえに立った。

「彼女のようなお客の依頼を引き受けるなんて、感心しませんね」

不服そうにクゼさんが言ったので、僕はすこしだけ笑った。

「そうですか?」
「ええ。ひと晩で五十本の刃物を研げ、……だなんて、常識はずれにもほどがある」
「まあまあ、クゼさん。彼女にも事情があるんですよ、きっと」

僕がそう言っても、クゼさんは納得がいかないようだった。

「どんな事情があるにせよ、礼儀はわきまえて欲しいものですがね」
「クゼさん、僕のためにずいぶん怒ってくれるんですね?」
「当然です」

クゼさんは大げさに肩を落としてみせた。

「君が刃物屋をやめるようなことがあっては、たまりませんから」