つづく五現目、六現目(a)


五現目なかばの、一年A組の教室。
このクラスの男子中学生、赤月誠(あかつき・まこと)は、黒板の文字を淡々とノートに書き写していた。

前方では数学教師……もとい、となりのクラスのB組の担任でもある狐塚が、気だるげに授業を進めている。
そしてクラスの大半の生徒は、机につっ伏して、すやすやと寝息を立てていた。

給食後の満腹感と、刺激のない数学の授業。
そしてまだ夏にはなりきらない、この中途半端な季節が重なれば、集中力がきれるのも無理はない、と誠は思った。

「あー、つまりここでいうXの絶対値の定義っていうのはぁー……」

ふだんはまじめそのものの誠でさえも、今日は狐塚の声がすこし遠くに感じられた。

開け放した窓から、ここちのよい風が入ってくる。
窓際に座っている誠は、そんな風に誘われて、窓のそとに目をやった。

今日もいつもどおりの一日だった。
……そう、たとえば一年B組の越智飛鳥が『自殺』した二日後とは思えないくらい、平和そのものだ。

(……まさか、となりのクラスでいじめがあったとはね)

まだ学校からの報告はなにもないが、 今朝のホームルームでアンケート用紙が配られたことからも察しはつく。
どうやら越智飛鳥は、いじめを苦に自殺したらしい。

(気の毒に。せめて亡くなる前に、僕がそのことを知っていれば……)

誠は自分の家の使用人たちの顔を思い浮かべながら考えた。
国内で最大の企業グループ、赤月財閥の嫡子(ちゃくし)である誠は、自身が世のなかに対して持つ権力の大きさというものを、じゅうぶんに理解していた。

そういったものを安易にふりかざすことは自分の理念に反するし、そもそも自分の出生や境遇を好ましくも思ってはいない。 ただし、権力でしか解決できない物ごとに対しては、この立場を大いに利用してやろうという計略を、誠は常に持ち合わせていた。

(……あっさり死ぬんだな、人って)

死んでから勝手に思いをはせられるなんて、故人にとってはいい迷惑かもしれない。
しかし、誠のこころのなかに生まれたくすぶりは消えなかった。

……わかっている。いくら権力を持ち合わせていたって、いざというときにふるえないのであれば、なんの意味もない。
今回だって、となりのクラスで起こっていた事件に気づくこともなく、同級生の死を許してしまった。

そして彼女の死後も、自分はこうしてぼんやりと授業を受けているだけの毎日を過ごしているなんて、やるせない。

(越智さんって、どんな子だったんだろう。一度も話したことなかったけれど、たしか入試の成績が二位だったとか……)

そのとき、誠は自分の手先にわずかな冷気を感じた。
窓のそとから視線をもどした誠は、次の瞬間、ぎょっとした。

自分の手を包みこむようにしてその手を添えていたのは、
月見坂学園中等部の制服を着た女子生徒……越智飛鳥だった。