プロローグ


夕焼け色が押し寄せる空のした、月見坂学園中等部の校舎の三階。
だれもいない一年B組の教室で、女子中学生の越智飛鳥(おち・あすか)は途方に暮れていた。

「私の体操服よ、どうしてそんなところにいるんだ?」

飛鳥がにらんでいるのは、窓のそとの木のてっぺんに引っかかっている、自分の体操服だ。

六月はじめのこの季節、日が暮れるまでの時間はだいぶ長くなってきた。
しかし、もう時刻は六時を過ぎている。これからどんどん辺りは暗くなっていくだろう。

飛鳥はすこしだけ窓から身を乗り出して、校庭を見下ろしてみた。

校庭にも、すでに人かげはほとんどない。
見えるものと言えば、見慣れたニワトリ小屋の屋根くらいだ。

あの小屋で飼われているニワトリたちの世話を、最近は飛鳥が毎日、ひとりで世話をしている。
それは飼育委員の自分としては当然のつとめだ。……ただ、本来ならばこの仕事は当番制のはずではあったのだけれども。

ほかの飼育委員たちがふまじめであることに対して、飛鳥はそこまでの不満を感じてはいなかった。
飛鳥にとって、ニワトリの世話は楽しい仕事だったからだ。

しかし、今日はなくなった体操服を探していたせいで、予定の時間よりもだいぶ仕事が遅れてしまっている。
もっと人のいるうちに小屋の掃除を終わらせておきたかったというのが、正直なところだった。

……あの体操服を回収して、小屋の掃除をすませたらすぐに家に帰ろう。

飛鳥は肩から提げていたかばんを床におろすと、椅子を使って窓枠に足を乗せた。
そうして思いきり手を伸ばしてみたが、あと数十センチのところで体操服に手が届かない。

「……そうだ」

飛鳥は窓枠からおりて掃除ロッカーへ向かうと、なかからシュロほうきを取り出した。
取っ手を逆さに持ち、びし、と空(くう)を切ってみる。……この長さなら、体操服まで届きそうだ。

「よいしょっと」

もう一度、窓枠に乗ってシュロほうきを突き出すと、今度は柄の先がわずかに体操服に触れた。

「よしよし。そろそろそこからおりてこい、いい子だから」

そう言いながら、ちょん、ちょん、とつつくと、それに合わせて体操服も少しずつ枝からずれていく。

「よし、もうすこし。もうすこしで、落ち……」


そのとき。
ふいに、だれかに背中を押されるような感覚があった気がした。